識別コード | SG-0509 |
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絵の内容 | 夏は鶴見橋で水泳 |
作者名(カナ) | 横田 礼右(ヨコタ ヒロスケ) |
作者名(英語) | YOKOTA Hirosuke |
当時の年齢 | 4歳 |
寄贈者名 | 横田 礼右 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1950夏 |
情景場所 | 鶴見橋付近 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | *別紙 現在のように学校にプールはなく、当時、夏は川で泳ぐのが常識でした。昭和25年、私が4年生のころの夏の思い出です。友達とパンツ又はえっちゅうフンドシで橋の欄干から頭から飛び込み、足から飛び込み、水飛沫をいかに高く派手にあげるのは誰かと競争をしたものです。又はぜ等の魚も良く釣れ、アサリも掘ればゴロゴロ出てきました。あざみというカニも時々は取れ、遊びと実益をかねて良く川遊びをしたものです。当時の川はヘドロも無く、澄んで底まで良く見え非常にきれいでした。 しかし、川べりは都市計画で緑地の計画にもかかわらず、いつの間にか、被爆で全てを失った住む所のない被災者や、避難先・疎開先から帰った住む場所のない人々、中国等からの戦災帰国者等が、たちまち雨露をしのぐため悪いと思いつつも焼け野原から集めた廃材で夜な夜な監視の目をくぐり不法住宅を建てバラックで生活を始めておりました。小屋はみるみる内に増え、川土手には隙間無く寄り添うように立ち並び、「原爆スラム化」し、被爆復旧の汚点となりましたが、広島市としても強制的に取り壊しもできず、悩みの種となった風景でした。 |
サイズ(cm) | 20.4×28.9 |
展示の説明文 |