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トップページ原爆の絵母親、弟妹と竹やぶで震えながら夜を明かす。市内は真っ赤な炎が見え、足元では多くの人が苦しんでいた。

原爆の絵

識別コード NG447
絵の内容 母親、弟妹と竹やぶで震えながら夜を明かす。市内は真っ赤な炎が見え、足元では多くの人が苦しんでいた。
作者名(カナ) 渡部 治美(ワタナベ ハルミ)
作者名(英語) Harumi Watanabe
当時の年齢 8歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)夜
情景場所 三滝の竹やぶ
情景場所旧町名 三滝町
情景場所現町名 三滝本町
爆心地からの距離 2600m
ブロック別 三篠・祇園地区
作者による説明 **別紙
絵の場所 西区三滝の竹やぶ
氏名 渡部治美 ワタナベ ハルミ 
昭和二十年八月六日は、私は吉島に貝を掘りに行く日でしたので、いつもの日より早く三篠小学校についていました。暑いので友達と校舎の陰で、まりつきをするため、ジャンケンをしている時でした。
パット空が明るくなり上を見ると、水色のガラスが音もなくくずれ落ち次の瞬間、気が付いた時は、いろんな物の下じきになっていました。ホコリと夕方のように暗くなっていました。
泣きながら、はい出て、自分の家の方に向かって走りました。生きている、ものは、馬でも牛でも犬でも、人間と一緒に今の旧国道を可部の方向に走りました途中自分の家の前に来た時、お母さん、お母さんと、大声で何度も泣きさけびましたけど、だれもいませんでした。まだ家には火はついていませんでしたがペチヤンコになっていました。逃げまどう人達の中に入り走りつづけました。
祇園の方まで行った時、近所のおばさんに出逢いあんたのお母さんは、三滝の竹やぶの中に逃げていると教えてもらい、あっちこっち捜しているとき、母も、私を、さがしに来たところに出合いました。
弟と二人、生まれたばかりの妹、頭、顔中赤土だらけで弟達は頭から血を流していました。
その夜、多くの人達の、うめき声、水をくれ、水をくれと私の足元で助けを、もとめて、おられた男の人。水も食べるものもなく、私達五人はふるえていました。
その夜、市内の方を見た時、まっ暗の中、地をはうような真っ赤な炎が市内を焼けつくしていました。
何年たってもその時の光景は私の脳裏から消えることはありません。
朝、あたりが静かになり見ると、ここまで必死で逃げてこられた皆さん、目も鼻もわからないほど、はれあがり苦しんで苦しんで亡くなって、行かれた皆様方に、こんな絵しか書けないこと申し訳なく思います。
兵隊さんがこられ、カンパンを二コずつ、くばって行かれました。
父はとうとう帰って来ませんでした。その時の私は、三篠小学校二年生、八才でした。
渡部治美
サイズ(cm) 26.9×37.9
展示の説明文 母や弟妹と震えながら夜を明かす
爆心地から2,600m 三滝町付近
1945(昭和20)年8月6日 夜
渡部 治美氏(原爆投下当時8歳、絵を描いた時65歳)
作者の解説
近所のおばさんに出会い、お母さんは竹やぶの中に逃げていると教えてもらいました。生まれたばかりの妹、頭と顔中赤土だらけで弟たちは頭から血を流していました。その夜、市内の方を見た時、真っ暗の中、地をはうような真っ赤な炎が市内を焼きつくしていました。何年たってもその時の光景は脳裏から消えることはありません。父はとうとう帰って来ませんでした。

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