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トップページ原爆の絵工兵隊が船で人々を対岸に避難させていた。火災がせまり自分は泳いで川を渡った。

原爆の絵

識別コード NG342
絵の内容 工兵隊が船で人々を対岸に避難させていた。火災がせまり自分は泳いで川を渡った。
作者名(カナ) 野崎 和夫(ノザキ カズオ)
作者名(英語) Kazuo Nozaki
当時の年齢
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6
情景場所 京橋川(と思われる)
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別 基町・白島地区
作者による説明 **裏
S.20.8.6
広島、原爆の日
野崎和夫

**別紙
 私は 昭和20年8月6日は、いつもと同じように段原大畑町の宿舎より、基町の中国軍管区経理部建技科の事務室(旧陸軍幼年学校)に入りました。女子挺身隊の方が運んでくれる朝食をとり、今日の予定について指示を受け、同じ依託生の千賀君と話をしていたとき、あの悪夢の閃光と共に気を失いました。どの位の時間が経過したか、気がついたときは暗闇の中で、上からガラガラと何か落ちている音が聞こえました。顔には生暖かいものが流れて来まして目が開けられないまま、手を動かそうとしましたが、何かにはさまれて身動き出来ない有様でした。左手は掌が上に向いたままで何か生暖かいものがおちてくる感じがしました。そのうち暗闇の中から、助けを求める声、お母さんと呼ぶ声、家族の誰かの名前を呼ぶ声、そのうちに朝、食事を運んでくれた、着任してはじめておぼえた福井さんが私を呼んでいる声も聞きました。一瞬の出来事で何が何だかわからなかった。
そのうち右手がやっと動くようになり顔をぬぐうと血のようなものがべっとりとつきました。左手にも何かさわるものがあり少し動かしてみると人の顔の感じですがべっとりと血のようなものがつき、やっと今まで並んで話をしていた友人だろうと感じはじめました。声を出して千賀君を呼んでみましたが、返事は戻って来ませんでした。そのうち、あちこちで呼ぶ声もなくなり、これで自分も終わりかと思って居りました所、上の方から私の名前を呼ぶ声がしました。返事をするとそれは先輩であり上司である松原さんでした。「お前、生きているのか」という声と共に、私の上にあるものを取除いてくれているのがわかりました。
そのうち明りが入ってくるにしたがい、自分は今まで入っていた事務室の建物の下敷になっている事に気がつきました。左手に触るものは千賀君の顔である事もわかりましたが、すでに虫の息でした。そのうち先輩は1人で私の上のものを取除き、引出してくれました。
外に出ましたところ、朝、通り抜けたお城も私たちの事務室のあった、旧幼年学校の建物も全てつぶれて、端の方から火がもえてくるのがわかりました。それから経過した時間はわかりませんが、気がついたときは知らない街角でした。広い通りに面しており、傷ついた人、破れた服装に防空頭巾をかぶった人、やけどで皮膚が水ぶくれている人、さまざまの人の歩く姿、私もようやく気がついて、その人たちの後を歩きました。そのうちまた気を失ったのか、今度気がついたら川のほとりでした。堤防上に建ち並んでいた家も、ほとんどつぶれ、川の方に落ちいる家、傾きながら燃えている家で、ここではじめて恐ろしさがこみあげて来ました。そのうち火がだんだん私の方に近づいて来ましたので、石段を下り、川に入りました。土手の下は沈床になって石の並んでいるひざまである水の中に避難しました。もうそのときには工兵隊の人が鉄舟をもって来て 対岸の川原まで人々を運んで居りました。しかし私がついた頃は大勢の人々が、我先に一度に乗るので舟は沈み流される人も大勢いました。私も泳ぎには自信がありましたが左手と、腰を打っていたので左足がきかず、どうしたものかと思案していたものの堤防上の建物が燃えてそれが建物と共に落ちてくるので、片手片足で流れを横切り対岸の砂の上に着きました。そこでまた気を失いました。気がついたら竜巻が目前で起こり松の木も根こそぎ巻き上げられ、幸いにも私の方から西の方に去ったので命は助かりました。川の中には上流から多くの死者が流れ、まるで地獄であった。この絵はその時の様子を思いうかべて書いたもので、これ以後は駅の西の練兵場に出来た海軍の収容所に入りました。
野崎和夫
サイズ(cm) 23.6×33.1
展示の説明文

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