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トップページ原爆の絵部隊の兵舎が仮設の救護所となり、多数の負傷者がトラックや担架で運ばれてきた。

原爆の絵

識別コード NG267-07
絵の内容 部隊の兵舎が仮設の救護所となり、多数の負傷者がトラックや担架で運ばれてきた。
作者名(カナ) 川田 義男(カワタ ヨシオ)
作者名(英語) Yoshio Kawata
当時の年齢 24歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)午後
情景場所 陸軍船舶司令部(仮設救護所)
情景場所旧町名 宇品町
情景場所現町名 宇品海岸三丁目
爆心地からの距離 4,790m
ブロック別 皆実・宇品地区
作者による説明 **裏
7
一九四五年(昭和二十年)
八月六日 午後
爆心地より約三・五キロメートル
被爆により破壊された。
暁二九五三部隊の兵舎と部隊の前の兵器の廠舎が仮設の救護所となる。
多数の市民の負傷者・重傷者がトラックや担架で運ばれる。
戸板・古材・ムシロ等が応急のベッドになる。
火傷・裂傷の手当に薬品少く応急の処置であった。
(仮設の救護所 救護の当番で)
平成十四年六月十九日 描
サイズ(cm) 24.2×27.2
展示の説明文

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