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トップページ原爆の絵避難する負傷者、母子、長寿園付近の死体、脱線した貨車、馬の死体、市内で肉親を捜す人々。

原爆の絵

識別コード NG094-03
絵の内容 避難する負傷者、母子、長寿園付近の死体、脱線した貨車、馬の死体、市内で肉親を捜す人々。
作者名(カナ) 津村 明正(ツムラ アキマサ)
作者名(英語) Akimasa Tsumura
当時の年齢 16歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)
情景日時 1945/8/6~8/8
情景場所 牛田町、基町、工兵橋~長寿園、相生橋、大須賀町
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離 300m~3,500m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
8/6牛田町より
8/8大須賀町にて貨車列車
8/8工兵橋から長寿園へ出る途中死体はパンパンにふくれていた
8/6午後 牛田町にて
8/8基町あたり(長寿園→相生橋の途中)馬が側溝へ頭をのせて死んでいた
8/6午後 牛田町 比婆郡の人でしたが戸坂にて亡くなったとの事(本日入隊)
8/6午後牛田新町にて母子
8/6(牛田町)防空ごうや道路で一夜をすごす
8/6夜
8/8我が子を探して歩く人
**裏
8/6 牛田新町にて夜は外で寝ました
8/8 牛田新町から工兵橋を渡り長寿園に出て、相生橋のふもとに出ました。まだ死体が残っていて腐敗しかけていました。パンパンにふくれた死体が転がっていました又馬が一頭歩く姿で死んでいました。相生橋に出て始めて立止まってみましたが、案外沢山の人が肉親を探し求めて歩いておられました。八丁堀を経て広島駅に出ました 広島駅も沢山の人が見えました。大須賀町を経て牛田に帰りましたがまだ死体が残っていました。
津村明正 73才
(牛田新町にて被爆)
**別紙
3、8月6日、8月8日
今ではもう断片的にしか覚えていません。8月6日は「水をくれ」と云われ何人かの方にあげました。「水をやるな」と云う方も居ました。でも私達は見守るだけでどうすることもできませんでした。8月6日の夜は外に寝ました。家の中はガラスと壁土で畳が見えない位でした。夜もよく街は燃えました。火柱のすごさには驚きました。
8月8日は牛田町から工兵橋を渡って長寿園に出て、相生橋に来ると先づ目についたのがドームでした。立どまって見渡すと一面焼野原、肉親を探す人達が電車道を急いでいました。外人の死体もありました。相生橋から八丁堀を経て広島駅を通りましたが、かなりの人が歩いていました。
サイズ(cm) 36.6×52.4
展示の説明文

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