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トップページ原爆の絵広島陸軍兵器補給廠の救護所に寝かされた多数の負傷者

原爆の絵

識別コード GE39-13
絵の内容 広島陸軍兵器補給廠の救護所に寝かされた多数の負傷者
作者名(カナ) 原田 みどり(ハラダ ミドリ)
作者名(英語) HARADA Midori
当時の年齢 33歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)午後
情景場所 広島陸軍兵器補給廠
情景場所旧町名 霞町
情景場所現町名 霞一丁目
爆心地からの距離 2,860m
ブロック別 比治山・仁保地区
作者による説明 **絵の中
昭和二十年八月六日午後 広島市霞町陸軍兵器補給廠にやっとの思いでたどりついたとゆう負傷者を倉庫に荒むしろを敷いてならべ収容しました。すぐに日が暮れましたが夜は電灯がつきませんので治療が出来ません。明くる朝は約半数の人が死んでいました。残りの人を首も上げず一生けんめい治療して行くのですが一ツの倉庫に二百五十人から三百人の負傷が居てその倉庫が六ツぐらいあるのですからとうでい全部の人を治療することは出来ません。夕方になると隊長(伊藤軍医中尉)が衛生部員全員引き上げとゆう命令があります。
薬や材料を集めて引きあげようとすると明日も治療してもらいませんでしたどうぞ今日は治療して下さいと泣きつかれるので又後もどりして治療していると隊長から大声で叱られました。衛生部員は今の場合一番重要なのたぞ、その衛生部員が健康でもそこねたらどうなると思う、これだけの負傷者を救けるのは衛生部員だけだいと。後髪を引かれる思いで耳をふさいで洞くつ内に引き上げる有様でした。
**裏
原田 みどり 63才
昭和二十年当時陸軍看護婦
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文 倉庫の床に寝て治療を待つ負傷者たち
絵・文/原田みどり氏
1945(昭和20)年8月6日午後 爆心地から約2,700m 霞町(現在の霞一丁目)
「やっとの思いでたどりついた負傷者を倉庫に収容しました。すぐに日が暮れ、夜は電灯が点かず治療ができません。衛生部員全員引き上げという命令があります。『昨日も治療してもらいませんでした、どうぞ今日は治療して下さい』と泣きつかれるので、治療していると隊長に大声で叱られました。『衛生部員は今一番重要なのだぞ、その衛生部員が健康でもそこねたらどうなる』と……後ろ髪を引かれる思いで耳をふさいで引き上げる有様でした。」
絵中の説明文より抜粋

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