トップページ原爆の絵飯室国民学校では毎日10人前後の人が亡くなり、亡くなった中には若い看護婦さんもいて驚く
| 識別コード | GE33-44 |
|---|---|
| 絵の内容 | 飯室国民学校では毎日10人前後の人が亡くなり、亡くなった中には若い看護婦さんもいて驚く |
| 作者名(カナ) | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) |
| 作者名(英語) | Shinsuke Uchiyama |
| 当時の年齢 | 46歳 |
| 寄贈者名 | |
| 種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
| 情景日時 | 1945/8/10 |
| 情景場所 | 飯室国民学校 |
| 情景場所旧町名 | 安佐郡飯室村 |
| 情景場所現町名 | 安佐北区安佐町飯室 |
| 爆心地からの距離 | 16,200m |
| ブロック別 | |
| 作者による説明 | **絵の中 山縣郡方面ノ縣道なり 安佐郡可部町字飯室小学校状況なり 昭和廿年八月九日長束街道ニテ母、七十九歳デ実ニ覧夫人アリタ噫乎夏の事故にコウモリ傘サシテ通行中暁部隊の桂中尉指命の時の自動車ヒカレ足部負傷す 飯室に運ブ 十日午後弐時手術後死亡 この病院で毎日拾人前後の御方が死亡す 実に驚きた事は当時看護婦さん廿一、二才方七人名居られたが母の死体を山に運ぶ時新しき棺が四個あり、フタ取リテ驚ク若き看護婦さん死んで居られる何んと云ふ悲惨な事涙が私のほヽにつたわる 呼々 飯室小学校 内部原爆患者 手術室 患者なり 陸軍病院 当時八月拾日 焼場 **裏 紳士服 作業服 メリヤス類 学生服 専門店 内山衣料品店 |
| サイズ(cm) | 34.5×25.5 |
| 展示の説明文 | 飯室国民学校の救護所 絵/内山新助氏 1945(昭和20)年8月10日 爆心地から約18km 安佐郡飯室村(現在の安佐北区安佐町) 当時の飯室国民学校は、広島第一陸軍病院の分院になっていました。6日から学校は救護所となり講堂に負傷者が収容され、近くの峠では多くの死者を火葬しました。8日午後、忠一さんは、トラックでこの救護所に移されましたが、その3日後に亡くなりました。 |