トップページ原爆の絵五日市国民学校校庭に穴を掘り毎夜被爆者の死体を焼く
| 識別コード | GE24-34 |
|---|---|
| 絵の内容 | 五日市国民学校校庭に穴を掘り毎夜被爆者の死体を焼く |
| 作者名(カナ) | 増田 節雄(マスダ セツオ) |
| 作者名(英語) | Setsuo Masuda |
| 当時の年齢 | 40歳 |
| 寄贈者名 | |
| 種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
| 情景日時 | 1945/8/7~8/14頃(時刻)夜 |
| 情景場所 | 五日市国民学校 |
| 情景場所旧町名 | 佐伯郡五日市町 |
| 情景場所現町名 | 五日市三丁目 |
| 爆心地からの距離 | 9,400m |
| ブロック別 | |
| 作者による説明 | **絵の中 校庭を掘って毎夜被爆死者の死体を焼く(原爆投下后被爆負傷者収容の仮設病舎となる) 場所・佐伯郡五日市國民学校校庭 時・昭和二十年八月七日頃より始り八月十四日頃までか 急造の仮設病舎のため医師、看護婦不足は元より医薬品等も乏しく重患者よりバタバタ朝に夕に亡くなりました **裏 補記 当時私達広島防衛隊が学校の二階を本部兼宿舎として毎日原爆投下で荒廃した市内え「死体の整理」「急を要する橋梁の仮複旧」等に出動してゐました 八月十六日の召集解除迄相当数の遺体が茶毘に伏せれた事と思います 身元の確実な人、引取り人のあった人を除き身元不詳の人、人の遺骨は其后どうなってゐますでしょうか 今でも校庭に人に知られず放置してある様な氣がしてなりません まだ現在は当時の関係者がゐられると思います 身元不詳者の遺骨が共々に何れかの墓地に祭られてゐる事と信じてはゐますが・・ 此の事が私の危惧である事を念じてゐます 合掌 當時 住居 広島市下柳町 勤務先 広島市南観音町(非常時は広島市防衛隊員となる) 現在 増田節雄 七〇才 |
| サイズ(cm) | 27×38 |
| 展示の説明文 |