| 識別コード | GE19-17 |
|---|---|
| 絵の内容 | 赤く染まった広島の空 |
| 作者名(カナ) | 神田 イツコ(カンダ イツコ) |
| 作者名(英語) | Itsuko Kanda |
| 当時の年齢 | 42歳 |
| 寄贈者名 | |
| 種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
| 情景日時 | 1945/8/8(時刻)夜 |
| 情景場所 | |
| 情景場所旧町名 | |
| 情景場所現町名 | |
| 爆心地からの距離 | |
| ブロック別 | |
| 作者による説明 | **絵の中 はしがき 夜も昼も 三日三晩も 焼け続けたる 広島の空は 今宵も赤く染まりぬ 八月八日夜 吾々被爆者は、平和への犠牲者だ、勇士だ。 工場で働く 人々 学徒動員の小、中学生、女学校の生徒等は、勉強も捨てゝ毎日、指令通りに働いた。近郊の町村から、次々と召集されて、建物疎開で働いた。建物疎開で綱を引いている人々、又は徴庸工として、工場で。男も女も働けるかぎりの若人は、大人も、子供も皆一丸となり「欲しがりません勝つまでは」をモットーとして銃後を守って来た。はからずも、広島、長崎に落とされた、あの原爆がキッカケとなって、敗戦乍らも日本に再び平和が戻って来たのだ。以来この三十年、現在日本の繁栄はもたらされた。この、犠牲となった、吾々被爆者!!それは召し出されて、第一戦で苦労なさった兵隊さん、戦死なされた勇士、その方々の働きには及ばず乍ら、負けることではないと私は思うのです。顔のひきつり、キズ跡、手足の変形などこの時受けたものは、一戦の勇士の胸に輝く功労賞だと私は思う。人前をはゞかることはない。素直に平和に、生きたいものだと思います。吾々被爆者は、平和の功労者です。 |
| サイズ(cm) | 51.5×36.5 |
| 展示の説明文 |