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トップページ原爆の絵被爆した母の痛ましい姿

原爆の絵

識別コード GE14-28
絵の内容 被爆した母の痛ましい姿
作者名(カナ) 小西 トモ子(コニシ トモコ)
作者名(英語) Tomoko Konishi
当時の年齢 26歳
寄贈者名
種別 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)
情景日時 1945/8/6(時刻)15:00頃
情景場所 安佐郡東山本
情景場所旧町名 安佐郡祇園町
情景場所現町名 安佐南区山本
爆心地からの距離 4,060m
ブロック別
作者による説明 **絵の中
8. 安佐郡東山本(午後3時頃)
(母63才)
三瀧の芋畑で倒れていた母は、山本村の救護班に声を掛け、実家へ連れ帰ってもらいました。
顔は一廻り大きく唇の腫れがひどく目は閉じたまま
上半身ひどい火傷でした。
足は、衣類が厚かった為火傷を受けていませんでした。
両手の皮が、ゴム手袋の様な状態でぶら下っていました
モンペの紐の結び目がカッチリとしていたのが痛ましく感じられました。
・警防団の誘導で私達三人は、山本国民学校へ行きました。二人の女の子に「すぐ見に来て上げるからね」と言って、私はひと先ず母の実家へ行ってみました。午後になって、母が村の人に助けられて帰って来ました。
・とうとう母は、終戦を待たず8月9日に息を引き取りました。亡くなる時前に「刀を、刀を、」と言いました。平素の母の気持を併せ考えると、それはふりかざす刀ではなく、当然女性として護身用に手許に欲しかったものと推測致しております。
・父は母と共に西大工町で被爆したのですが遺体も見当らず現在に至りました。
・「元気出して、待っているのよ」と言って学校に預けた女の子との約束を私は果しませんでした。私を待っていたであろう二人の女の子、ごめんなさい。今もって胸の痛む思いが一杯です(合掌)
**裏
(8,8)
小西トモ子
**実態調査
戸板に乗せられた母が実家に帰って来ました。母の体は1/3以上の火傷でした。終戦を知らずに9日の午後1時頃息を引き取りました。
サイズ(cm) 38×54
展示の説明文

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