トップページ原爆の絵五日市国民学校で、三昼夜水を求めて叫び続け死んだ若い女性
| 識別コード | GE12-34 |
|---|---|
| 絵の内容 | 五日市国民学校で、三昼夜水を求めて叫び続け死んだ若い女性 |
| 作者名(カナ) | 増田 節雄(マスダ セツオ) |
| 作者名(英語) | Setsuo Masuda |
| 当時の年齢 | 40歳 |
| 寄贈者名 | |
| 種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
| 情景日時 | 1945/8/6~8/10 |
| 情景場所 | 五日市国民学校 |
| 情景場所旧町名 | 佐伯郡五日市町 |
| 情景場所現町名 | 五日市三丁目 |
| 爆心地からの距離 | 9,400m |
| ブロック別 | |
| 作者による説明 | **絵の中 三昼夜水を求めて叫びつヾけつつ死んで行った若い女 場所 佐伯郡五日市國民学校教室 (原爆投下と同時に負傷者仮病院となる) 時 昭和二十年八月六日~十日(夜半絶命) 記憶事項 年令 二十才前后.身長一六五㎝位 出身地 京都府(或は京都市) 氏名…不詳(残念乍ら) 教室の床に藁茣蓙を置いて寝かし胸に好意のタオルが掛けてある 介抱人なし 負傷者で超満員の仮病室も正式病院の転送と縁故者の引取り死亡者の續出で残り患者は少なくなりました 八日頃はまだ「兵隊さん水を下さい」と叫んでゐました 九日になると「兵隊水をくれ」に変り十日には「水」「水」と声もたえだえでした(夜中連呼)医師より水を飲ませたら死期を早めるから絶対に与えない様に傳達されてゐました 素人の我々が見ても助かる見込みはありません 一杯の水を与えなかった事が三十年后の今日でも残念でありすまなく思って悔んでゐます 支給の粥も忽ち蝿の山となる 水水水水水水水 叫び続けつヽ絶命 **裏 補記 当時私達は広島市防衛隊員として國民学校の二階を本部(宿舎)としてゐました 原爆投下より学校は教室といはず廊下迄「倒れ込み」「座り込み」足の踏む場所もない程の負傷者で超満員でした 急造の仮病室の事ですから医師、看護婦も手不足、医薬品等も充分ある筈がなく火傷者に赤チンキを塗布する程度だったと思ひます それでも地元の人達は物資の不自由の中を随分親切に協力して下さった様でした 日が経るに従い運よく親類、知己、友人等にめぐり会った人々はそれゞ充分手当の出來そうな処え移られた様でした 身寄りのない人(表記の女の様な人)は放置同様の姿ですからバタゝ朝に夕に死んで行きました 合掌 当時 非常時 広島市防衛隊(二等兵板) 現在 増田節雄 七〇才 |
| サイズ(cm) | 27×38 |
| 展示の説明文 |