識別コード | GE03-18 |
---|---|
絵の内容 | 負傷者をトラックに乗せて病院に運ぶ |
作者名(カナ) | 田中 武彦(タナカ タケヒコ) |
作者名(英語) | TANAKA Takehiko |
当時の年齢 | 29歳 |
寄贈者名 | |
種別 | 市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集) |
情景日時 | 1945/8/9(時刻)15:00過ぎ |
情景場所 | 西蟹屋町から舟越町の国道2号線 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **絵の中 No.8 ヒロ……工場 私達の探す隣組の人は発見出来ず。 西蟹屋町の東洋紡績の跡に立寄りました。 ここは私達の工場従業員の被爆者救護所の中継所でした。 重傷者をトラックで船越にある付属病院に移送する作業を手傳いました。 ハトロン紙をテント代りに持ちました。 水を求める子供に、母親は『どうせ駄目でしょうから飲ませてやって下さい』と泣いて私達にたのみました。 入道雲の出ている暑い暑い日の午後でした (八月九日午後三時過ぎ 西蟹屋町→船越町国道二号線) **裏 8月9日 午後3時過ぎ 西蟹屋町-船越町 国道2号線上 田中武彦 59才 |
サイズ(cm) | 29.5×42 |
展示の説明文 | 重傷者をトラックで船越にある付属病院に移送する作業を手伝いました。水を求める子どもに、母親は「どうせ駄目でしょうから飲ませてやって下さい」と泣いて私たちにたのみました。入道雲の出ている暑い暑い日の午後でした。 |