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原爆の絵

識別コード SG-0779
絵の内容 広島の川の想い出 遠足
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1941年春
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 *絵中
そのリュックサックは大変お粗末で汚れており中身を見る気がしません。友達は「誰が間違えたんかの~」「自分の物は分かるじゃろうに」「悪い奴がおるんじゃのう」などと、私を慰めるように話していました。
みんなは弁当を美味しそうに楽しく食べていました。私はおんぼろのリュックサックを睨みつけていました。腹が減っていました。ただ「お母ちゃんが作ってくれた弁当が食べられない」悔しさがいっぱいでした。
弁当を早く食べた者は遊びに夢中になっていました。突然先生が「帰るから集合」と何度も叫んでいました。みんなは「なんで早く帰るんかのう」とぶつぶつ言っていました。どうやら川の水位が上がって土手に上がる部分が水に浸かっていました。先生は児童の足が水流に取られて転ばないように見守っていました。無事全員土手に上がり学校に帰り早めの解散となりました。
私はしょんぼりして帰宅したので母は驚き、またリュックサックを見て、また驚きました。母と一緒にリュックサックの中を見ました。弁当箱はアルミ製でデコボコになっていました。弁当の中身はとてもお粗末なものでした。これは貧しい家庭の子の弁当でしょう。
数日経てもリュックサックを間違えた者が名乗り出なかったので母は粗末なリュックサック一式を処分しました。
翌年5年生の遠足は高天原(現東区中山)でした。リュックサックと弁当箱は新しく買ってもらいました。名前は大きく書きました。
各クラスに貧しい身なりの者が1~2人いました。何かにつけて「いじめ」の標的になっていました。かわいそうな子供でした。

*別紙
「あの日」の牛田の中州
多くの被爆者が中州に避難をしてきました。

ヒロシマの復興
被爆したヒロシマは焼け野原になりました。今は見事に復興して被爆当時を知る風景は無くなりました。「あの日」から変わらないのは市内を流れる美しい川です。しかし、被爆者はあの「地獄の川」と重なって川面を眺めています。これは一生消えることがないでしょう。
サイズ(cm) 42×29.7
展示の説明文

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