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原爆の絵

識別コード SG-0778
絵の内容 広島の川の想い出 遠足
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1941年春
情景場所 牛田水源地前中州
情景場所旧町名 牛田町
情景場所現町名
爆心地からの距離 3500
ブロック別 牛田・広島駅周辺地区
作者による説明 *絵中
広島の川の想い出
広島は太田川の河口のデルタに発展しました。とりわけ川とかかわりの深い街です。戦前の小学生時代ごろを思い出して川にかかわることを記述しました。

1 遠足
1941年春、広島市立白島小学校4年男子組3クラスが牛田水源地前の広い中州へ遠足に行きました。
中州から見る風景は、帆掛け舟や筏が川の流れに沿ってのんびりと下流へ進んでいました。
私たちは、先生の注意事項を最後まで聞く耳はありませんでした。早速裸足になって飛び回りました。トンネルを作る者、相撲を取る者、鬼ごっこをする者、走り回る者、平たい石を水面に投げて跳ねる数を競う者などなど。
お昼になり、気の合った仲間が輪になって弁当を食べ始めました。なぜか私のリュックサックがありません。探し回っていると先生も一緒に探しました。どうしても見つかりません。しかし1個のリュックサックが残っていたので先生は「この弁当を食べとけ」と言って先生たちの所へ行きました。

*別紙
「あの日」の牛田の中州
多くの被爆者が中州に避難をしてきました。

ヒロシマの復興
被爆したヒロシマは焼け野原になりました。今は見事に復興して被爆当時を知る風景は無くなりました。「あの日」から変わらないのは市内を流れる美しい川です。しかし、被爆者はあの「地獄の川」と重なって川面を眺めています。これは一生消えることがないでしょう。
サイズ(cm) 42×29.7
展示の説明文

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