| 識別コード | SG-0753 |
|---|---|
| 絵の内容 | 父の思い出 引越し屋 |
| 作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
| 作者名(英語) | Seigo Nishioka |
| 当時の年齢 | 13歳 |
| 寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
| 種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
| 情景日時 | |
| 情景場所 | |
| 情景場所旧町名 | |
| 情景場所現町名 | |
| 爆心地からの距離 | |
| ブロック別 | |
| 作者による説明 | *絵中 4 引越し屋 父はリヤカーを利用して引越し屋を始めました。 白島の街はサラリーマンなどの引っ越しが多く、その上建物疎開が始まりました。それらの引っ越しには指定の業者の手配がされていましたが需要に追い付かないので、個人で引っ越しを手配する状況でした。そのため父は毎日忙しい悲鳴を上げていました。 現在の引っ越しは、業者に依頼をすれば数人で短時間の「door to door service」ですが、当時は日本通運の貨物列車を利用するため、手間と日時を要しました。 例えば、タンスの梱包は筵を巻いた上に木枠で頑丈に梱包し、木札と紙札に送り先情報を記入して指定枚数取り付けます。 この仕事を父1人がするので1軒の引っ越し作業は数日を要していました。また、梱包容積に制限があるので不要な家財道具が発生すると無料で引き取っていました。大きなテーブルや柱時計などがありました。 広島駅東側にある日本通運の貨物受付窓口は何時も持ち込み業者が多くて長時間またされました。私は国民学校高学年から父の仕事を手伝い、リヤカーで荷物を運んでいました。父は仕事が捗るので大変喜びました。 |
| サイズ(cm) | 42×29.7 |
| 展示の説明文 |