| 識別コード | SG-0750 |
|---|---|
| 絵の内容 | 父の思い出 タクシー業 |
| 作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
| 作者名(英語) | Seigo Nishioka |
| 当時の年齢 | 13歳 |
| 寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
| 種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
| 情景日時 | |
| 情景場所 | |
| 情景場所旧町名 | |
| 情景場所現町名 | |
| 爆心地からの距離 | |
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| 作者による説明 | *絵中 父の思い出 はじめに 私は4歳の時、大阪市から広島市西白島町へ引っ越した1935年(昭和10年)春からの家族の記憶が子供心にはっきりと残っています。 父は広島市に引っ越してきた時は31歳。被爆による白血病で47歳の若さで逝った。この16年間の短い人生の職業について記述します。 1 タクシー業 白島の街は軍人や官民の高級者が多く、完全予約制のハイヤーとして繁盛していました。住み込みの運転手を雇い、クルマは新しい年式が発売されると買い換えていました。おかげで、家族は裕福な生活を送っていました。 1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争が始まるとガソリンの入手が困難となり、2台の自動車を手放すことになりました。自動車の買取りは軍部でした。あまりの安値で、父は落胆していました。 |
| サイズ(cm) | 42×29.7 |
| 展示の説明文 |