| 識別コード | SG-0749 |
|---|---|
| 絵の内容 | 地面に並べられた負傷者たち |
| 作者名(カナ) | 浜本 昌宏(ハマモト マサヒロ) |
| 作者名(英語) | HAMAMOTO Masahiro |
| 当時の年齢 | 12歳 |
| 寄贈者名 | 浜本 昌宏 |
| 種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
| 情景日時 | 1945/8/7 |
| 情景場所 | |
| 情景場所旧町名 | |
| 情景場所現町名 | |
| 爆心地からの距離 | |
| ブロック別 | |
| 作者による説明 | *別紙 翌日は早くから起き、私は状況を見るために大河小学校のまわりまで歩いた。小学校の校庭は勿論のこと、その周辺には大火傷をしたり骨を折るなどして動けない人達が続々と運びこまれ、地面に並べられている。 ほとんどの人は大火傷であり、薬もなにもないことから治療も受けられず、ムシロなどの上に横並びに臥せったりしている人ばかりであった。 中学生の姿もあることから、もしや友人ではと、目をこらして見たが、他の中学生であった。目を焼かれ盲目になり、それに耐えている少年の姿は言葉に表せない。 はやくも血や肉のにおいにつられたハエが飛びかい、容赦なく傷口に止まっていた。ハエが卵を人間の体にうえつける姿は見ておれない。 |
| サイズ(cm) | 103.5×140 |
| 展示の説明文 | **作者 浜本昌宏さん 当時、修道中学1年生だった浜本昌宏さん(当時12 歳)は、親戚宅(爆心地から4.7 km)で被爆しました。 美術の教員になった浜本さんは、自身の被爆体験については語ることはありませんでしたが、90歳を過ぎ、どうしても描いておきたいと絵筆をとりました。浜本さんは病気で目が半分見えず、体も思うように動かない中で、絵を描きました。そして教え子の支えにより絵を提出し、その3か月後に亡くなりました。 目を焼かれた中学生の姿 1945年8月7日 動けない人達が続々と運びこまれ、地面に並べられている。 もしや高雄くんではと、目をこらして見たが、他の中学生であった。 目を焼かれ盲目になり、それに耐えている少年の姿は言葉に表せない。 ※高雄くん 浜本さんの友人 |