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被爆資料

識別コード 9304-0016
資料名 診断書
資料名(英語) Medical certificate
寄贈者(カナ) 國府 幸代(コクフ ユキヨ)
寄贈者(英語) Yukiyo KOKUFU
受入年月日 2010/08/06
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 111×170
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 寄贈者の父・國府峯雄さん、母・孝さん、兄・明生さんは自宅のあった京都に向かうため広島駅で切符を買おうと待っていたときに被爆。3人ともひどい火傷を負った。持っていた番茶で火傷の応急手当てをし、列車で京都に向かった。京都駅に迎えに来てくれた孝さんの父親らによって、病院に運ばれ手当てを受けたが、8月13日に明生さんは亡くなった。その後、峯雄さんと孝さんはどうにか回復した。これは、孝さんの京都府立大学附属病院皮膚科の診断書。原子爆弾症と診断されている。1945(昭和20)年9月28日に書かれ、8月13日から入院し、現在も入院中とある。火傷の症状であったため、皮膚科の診断を受けたと思われる。
ブロック別
展示説明文 両親の認定書と診断書
寄贈/國府 幸代氏(こくふ ゆきよ)
寄贈者の父・國府峯雄(こくふ みねお)さん(当時32歳)、母・孝(たか)さん(当時25歳)、兄・明生(はるお)さん(当時1歳6カ月)は自宅のあった京都に向かうため、広島駅で切符を買おうと待っていたときに被爆しました。3人ともひどい火傷を負い、列車で京都に帰りました。京都駅に迎えに来てくれた孝さんの父親らによって、病院に運ばれ手当てを受けましたが、8月13日に明生さんは亡くなりました。助かった峯雄さんと孝さんも、被爆による後遺症で苦しみました。孝さんの診断書。原子爆弾症と診断されています。1945年(昭和20年)9月28日に書かれ、8月13日から入院し、現在も入院中とあります。火傷の症状であったため、皮ふ科の診断を受けたと思われます。
展示説明文(英語) Parents' certification document and medical certificates
Donated by Yukiyo Kokufu
The donor's father, Mineo Kokufu (then, 32), mother Taka (then, 25) and older brother Haruo (then, 18 months) were at Hiroshima Station waiting to buy a ticket to return to their home in Kyoto when the atomic bomb was dropped. The three of them returned to Kyoto by train with serious burns. Taka's father and others rushed to Kyoto Station, and took them to the hospital to be treated. Haruo died on August 13. Although Mineo and Taka were saved, they suffered from aftereffects of the bombing.
資料性質 戦後資料

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