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トップページ被爆資料挨拶状(複製)

被爆資料

識別コード 9205-0017
資料名 挨拶状(複製)
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 加納 信雄(カノウ ノブオ)、加納 宗子(カノウ モトコ)
寄贈者(英語) KANO Nobuo、KANO Motoko
受入年月日 2000/05/30
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 175×250
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 原爆被災記録映画製作のプロデューサーを務めた故・加納竜一氏が持っていた資料。撮影協力者に対するお礼と、映画が公開できないことを詫びる手紙。映画は、国策会社だった日本映画社の関係者や理化学研究所の仁科博士らの働きかけで「原子爆弾災害調査研究特別委員 会」の調査活動の一環として製作が認められ、9月下旬より撮影開始。映画製作にあ たっては、当初から被爆の実相を客観的に科学的に記録しようとする姿勢が貫かれた。途中、長崎でGHQに 撮影中止を命ぜられるが、米国側と交渉の結果、空襲の効果を調べる目的で来日し、調査活動を行っていた米国戦略爆撃調査団の委嘱を受ける 形で映画製作の継続が可能となり、その監督下で製作が行われた。1946年英語版 「広島・長崎における原子爆弾の影響」が完成し、米国に納品。さらに全ての資料の提出を命じられ、写真・フィルムも全て米 国に持ち帰られるが、一部関係者が何としても映画を残したいという思いから秘かにフィルムの一部分の複製をつくり、保存していた。1952年のサンフランシスコ平和条約発効後、秘かに保存されていたフィルムは、「朝日ニュー ス」363号で一般に公開され、ニュース映像や「原爆の長崎」、「生きていてよかっ た」などの映画に活用され始める。一 方、米国から作品が返還されたのは、1967年 のことだった。
ブロック別
展示説明文 映画公開断念の詫び状(複製)
映画完成に伴う撮影協力者へのお礼と、米国にすべて提供しなければならず、公開できないことを詫びる挨拶状です。
展示説明文(英語) Letter of apology regarding the cancelled release of the film
A copy of a letter sent to all who assisted in producing the film thanking them for their help and apologize for the fact that all materials had to be submitted to the U.S. and the film would not be released.
資料性質 戦後資料

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