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トップページ被爆資料「広島・長崎における原子爆弾の影響」台本

被爆資料

識別コード 9205-0002
資料名 「広島・長崎における原子爆弾の影響」台本
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 加納 信雄(カノウ ノブオ)、加納 宗子(カノウ モトコ)
寄贈者(英語) KANO Nobuo、KANO Motoko
受入年月日 2000/05/30
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 180×260
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 原爆被災記録映画製作のプロデューサーを務めた故・加納竜一氏が持っていた資料。映画は、国策会社だった日本映画社の関係者や理化学研究所の仁科博士らの働きかけで「原子爆弾災害調査研究特別委員 会」の調査活動の一環として製作が認められ、9月下旬より撮影開始。映画製作にあ たっては、当初から被爆の実相を客観的に科学的に記録しようとする姿勢が貫かれた。途中、長崎でGHQに 撮影中止を命ぜられるが、米国側と交渉の結果、空襲の効果を調べる目的で来日し、調査活動を行っていた米国戦略爆撃調査団の委嘱を受ける 形で映画製作の継続が可能となり、その監督下で製作が行われた。1946年英語版 「広島・長崎における原子爆弾の影響」が完成し、米国に納品。さらに全ての資料の提出を命じられ、写真・フィルムも全て米 国に持ち帰られるが、一部関係者が何としても映画を残したいという思いから秘かにフィルムの一部分の複製をつくり、保存していた。1952年のサンフランシスコ平和条約発効後、秘かに保存されていたフィルムは、「朝日ニュー ス」363号で一般に公開され、ニュース映像や「原爆の長崎」、「生きていてよかっ た」などの映画に活用され始める。一 方、米国から作品が返還されたのは、1967年 のことだった。
ブロック別
展示説明文 映画の冒頭部分の原稿
土木建築班の撮影した映像は、映画の冒頭部分に続いて使用されたため、同班の作成した原稿は映画の始まりから記されています。上段には、使用する映像や図が示され、下段には、解説が記されています。
展示説明文(英語) Manuscript for film's opening segment
Footage filmed by the civil engineering and architectural team was used after the film's opening segment; thus, the manuscript created by the team is written from the beginning of the film. Images and diagrams to be used are shown in the top part, while comments are written in the lower part.
資料性質 戦後資料

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