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被爆資料

識別コード 9203-0041
資料名 軍隊手帳
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 為岡 トシヱ(タメオカ トシエ)
寄贈者(英語) Toshie Tameoka
受入年月日 2006/06/22
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 95×125
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 白島北町
被爆地(現町名) 白島北町
爆心地からの距離(m) 2000
数量 1
内容 寄贈者の夫、為岡要八(ためおかようはち)さん(当時26歳)は、1945(昭和20)年8月6日、工兵補充隊の入隊日だった。前日より豊栄町の自宅から、妻トシヱさんとともに、広島に来ており、部隊の駐屯地である白島北町でトシヱさんに見送られ、入隊した。その直後被爆、倒壊した兵舎の下敷きとなり、右顔面を中心に大火傷を負った。家族と連絡の取れないまま、広島第一陸軍病院庄原分院で手当てを受け、8月21日、向原から自宅まで歩いて帰宅した。要八さんと別れたあと、蟹屋町の親戚宅に戻る途中被爆したトシヱさんは、怪我を負いながらも自宅に戻り、毎日要八さんの安否を心配し、捜し歩いていた。生きて戻った要八さんは、服は破れ、血がつき、顔も腫れて火傷で皮ふが垂れ下がり、見るも痛ましい姿となっていたが、よく生きて帰ってくれたとトシヱさんはなんともいえない気持ちであった。被爆した人たちが、次々と亡くなり、要八さんも死を覚悟したが、トシヱさんの懸命な看病により回復した。これは、被爆時に、要八さんが持っていたもの。
ブロック別 基町・白島地区
展示説明文 為岡要八さん(当時26歳)は、1945(昭和20)年8月6日、部隊の駐屯地で妻のトシヱさんに見送られ、入隊しました。その直後、被爆、倒壊した兵舎の下敷きとなり、大やけどを負いました。要八さんと別れたあと、被爆したトシヱさんは、けがを負いながらも自宅に戻り、要八さんの安否を心配し、捜し歩いていました。8月21日、要八さんが、服は破れ、顔も腫れて、やけどで皮ふが垂れ下がり、見るも痛ましい姿で帰宅しました。よく生きて帰ってくれたとトシヱさんはなんともいえない気持ちでした。被爆した人たちが次々と亡くなる中で、要八さんは、トシヱさんの懸命な看病により回復しました。
展示説明文(英語)
資料性質 被爆資料

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