識別コード | 9202-0847 |
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資料名 | 「ペンギラン・ユソフさんからの手紙」 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 栗原 明子(クリハラ メイコ) |
寄贈者(英語) | KURIHARA Meiko |
受入年月日 | 2019/8/23 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 148×210 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 2 |
内容 | 南方特別留学生のペンギラン・ユソフさんが寄贈者の栗原明子さんに送った手紙。 8月7日、行方不明の父親を探し歩いていた栗原さんは、広島文理科大学に避難していた留学生たちと偶然知り合った。栗原さんは、年齢が近く、心優しい留学生たちとすぐに打ち解け、8月14日までそこで励ましあい、助け合って過ごした。 この手紙は、終戦後、帰国のために東京に向かったユソフさんが、途中京都で休養を取った際に出したもの。 終戦直後にもかかわらず、すでに平時のようににぎやかな京都の街や、栗原さんらと過ごした広島での日々について記されている。1945年(昭和20年)8月27日付。 ペンギラン・ユソフさんは北ボルネオ出身。広島高等師範学校で数学の授業を受講中に被爆した。のちにブルネイの首相を務めるとともに、日本とブルネイとの国交回復に大きな役割を果たした。 栗原さんの言葉より 「留学生たちは皆とても優しく、いい人たちで、「怖いことないから、大丈夫だから」と慰めてくれました。外国から来た彼らの方が大変だったでしょうに、私の方が助けられました。これらの手紙と写真は、私とずっと一緒にいた大切な宝物です。あの時は自分も原爆症が出ていたのでお返事を書けませんでしたが、もし今返事を書くとするならば、「もう一度お会いしたい。お話したい。」と書きたいです。」 |
ブロック別 | |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |