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被爆資料

識別コード 9201-0089
資料名 日記
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 松野(旧姓 木村) 妙子(マツノ タエコ )
寄贈者(英語) Taeko Matsuno
受入年月日 2009/10/09
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 140×193×8
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 広島工業専門学校機械科1年生の木村一男さん(当時18歳)は、千田町の学校校舎二階で被爆。授業が始まったばかりの時で、一番窓際に座っていたため左手に火傷を負った。爆風で二階が潰れ、一階に落ちた一男さんは、背中にガラス片が突き刺さった姿で、友人達と共に徒歩で廿日市の自宅へ帰って来た。家族の懸命な看護で、戦後、一男さんは学校に復学したが、ずっと体調は優れなかった。最後まで「悔しい。死にたくない。」と苦しみながら、一男さんは被爆から3年後の1948(昭和23)年8月9日に亡くなった。木村一男さんが県立広島第二中学校在学時のもの。昭和14年~15年頃。
ブロック別
展示説明文 寄贈者の兄・木村一男さん(きむら かずお 当時18歳)は広島工業専門学校機械科1年生で、校内2階の教室で被爆。2階がつぶれ1階に落ちた一男さんは、左手にやけどを負い背中じゅうにガラスが刺さったままの姿で、友人と共に廿日市の自宅へ帰ってきました。戦後、学校に通えるまでに回復したものの、ずっと体調が優れなかった一男さんは、最後まで「悔しい。死にたくない」と苦しみながら、被爆から3年後の1948年(昭和23年)8月9日に亡くなりました。
展示説明文(英語)
資料性質 被爆関連資料

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