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被爆資料

識別コード 9201-0088
資料名 日記
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 松野(旧姓 木村) 妙子(マツノ タエコ )
寄贈者(英語) Taeko Matsuno
受入年月日 2009/10/09
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 128×181×12
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 県立広島第一高等女学校1年生の木村幹代さん(当時13歳)は、動員学徒として建物疎開作業中に土橋付近で被爆。全身に大やけどを負いながらも、必死に逃れた。途中、モンペの腰の部分に火がついているのに気付き、川へ飛び込んだ幹代さんは、しばらくして川から上がったところで動けなくなった。しかし、ここで死んでしまっては着衣も焼けて裸の自分は誰だか分らなくなってしまう、そんなことは嫌だと必死に己斐国民学校へ逃れた。そこで、姉の友人を見つけた幹代さんは、自宅へ所在を知らせて欲しいと頼んだ。それを受けた家族が現地に向かい、幹代さんを自宅へ連れ帰った。幹代さんは、自宅へ帰ることが出来たのが何より嬉しいらしく、全身大やけどの身ながら被爆時の様子をつぶさに話したが、翌7日の7時40分頃、体を半分起こして東の方へ向いて手を合わせ、そのまま何も言わずに亡くなった。これは11歳の頃の日記帳。
ブロック別
展示説明文 寄贈者の妹・木村幹代さん(きむら みきよ 当時13歳)は、県立広島第一高等女学校1年生で動員学徒として土橋付近で建物疎開作業中(*注)に被爆。全身が真っ黒に焼けただれる大やけどを負いながらも、力を振り絞って己斐国民学校まで逃れました。ここで偶然姉の友人を見つけた幹代さんは、自宅への伝言を頼み、迎えに来た父親の一美さん(かずみ)とようやく自宅へ帰ることができました。幹代さんは、自宅へ帰ることができたのが何より嬉しいらしく、泣きもせず、苦しいとも言わず、被爆時の状況をつぶさに語りました。家族が懸命に看病しましたが、幹代さんは、翌7日の朝、半分体を起こして東の方へ向いて手をあわせ亡くなりました。
展示説明文(英語)
資料性質 被爆関連資料

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