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トップページ被爆資料「電信日誌」

被爆資料

識別コード 9201-0085
資料名 「電信日誌」
資料名(英語) “Telegraph Journal”
寄贈者(カナ) 小島 逸雄(コジマ イツオ)
寄贈者(英語) Itsuo Kojima
受入年月日 2009/10/02
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 183×257×13
寸法(その他)
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 広島電信局に勤務していた小島逸雄さん(当時15歳)は、原爆投下の前夜、空襲警戒のため電信局に泊り込んでいた。8月6日朝7時に食事を取るために帰宅。家にたどり着き、顔を洗おうとしたときに「ドカン」と大音響を聞いた。庭に出ると市内の上空に巨大なキノコ雲がわきおこっていた。職場へ慌てて向かう途中、大けがを負い、市外に避難する多くの負傷者とすれ違った。この日誌は、被爆から5年ほどたったころ、保管年数が過ぎて廃品扱いになっている書類の中から見つけた。局長室に保管したが、局長が変わるたび、何度か廃品扱いにされているのを数回にわたり偶然見つけ、許可を受けて自宅へ持ち帰り、大切に保管していた。
ブロック別
展示説明文 袋町にあった広島電信局に勤務していた小島逸雄さん(当時15歳)は、原爆投下の前夜、空襲警戒のため電信局に泊まり、8月6日朝7時に食事をとるために帰宅。顔を洗おうとしたときに「ドカン」と大音響を聞きました。庭に出ると市内上空には巨大なきのこ雲がわき起こっており、慌てて職場へ向かう途中、市外に避難する多くの負傷者とすれ違いました。日誌には、1945年(昭和20年)8月6日から同年12月31日までの被災状況や出局者、業務連絡などが記載されています。
展示説明文(英語) Itsuo Kojima (then, 15), who worked for the Hiroshima Telegraph Bureau in Fukuro-machi, stayed over at the telegraph bureau the night before the A-bombing for the air alert, and returned home for breakfast at 7:00 a.m. on August 6. Kojima heard the boom when he was about to wash his face. Going outside to the yard, he saw a huge mushroom cloud in the sky over Hiroshima City. In haste, he made his way back to his workplace, passing many injured people trying to escape out of the city. This journal includes the damage after the bombing, who was on duty then, and follow-up activities from August 6 to December 31, 1945.
資料性質 被爆関連資料

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