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被爆資料

識別コード 9104-0344
資料名 医学書の一部
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 西川 廉行(ニシカワ ヤスユキ)
寄贈者(英語) Yasuyuki Nishikawa
受入年月日 2005/07/09
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 70×50×20
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 基町
被爆地(現町名) 基町
爆心地からの距離(m) 1300
数量 1
内容 広島第二陸軍病院の軍医だった西川治良兵衛さん(当時39歳)は、基町の勤務先で被爆した。五日市の自宅にいた家族は無事だったが、8日になっても治良兵衛さんは帰らず、妻の廣子さん(当時32歳)と息子の廉行さん(当時12歳)は治良兵衛さんを捜しに市内へ向うと、広島第二陸軍病院は焼け落ち基礎だけが残っていた。廣子さんらは、治良兵衛さんがいたと思われる部屋の焼け跡を掘り返したが、遺骨を見つけることはできず、治良兵衛さんが身につけていた軍刀とドイツ語の医学書の原書の一部などが焼け残っているだけだった。
ブロック別 基町・白島地区
展示説明文 医学書
西川廉行さんの父、治良兵衛さんは軍医として勤務していた基町の広島第二陸軍病院で被爆。五日市町の自宅にいた家族は無事でしたが、8日になっても帰らない治良兵衛さんを捜しに、母の廣子さん(当時32歳)と廉行さんが市内へ入ると、病院は焼け落ち基礎だけが残っていました。廣子さんらは、治良兵衛さんがいたと思われる部屋の焼け跡を掘り返しましたが、遺骨は見つからず、治良兵衛さんが身につけていた軍刀とドイツ語の医学書の一部などが焼け残っているだけでした。
展示説明文(英語) Medical dictionary fragment
Yasuyuki Nishikawa’s father, Jirobee, was exposed at Hiroshima Second Army Hospital in Moto-machi, where he served as military physician. His family at home in Itsukaichi-cho were unharmed. When Jirobee still had not returned home on the 8th, his wife Hiroko (then, 32) and son Yasuyuki entered the city to look for him. The hospital had burned down to the foundation. Hiroko and Yasuyuki dug into the rubble of the area of the room where they thought Jirobee had been, but found no remains. They found only the military sword that Jirobee had been wearing and a burnt fragment of his German language medical dictionary.
資料性質 被爆資料

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