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被爆資料

識別コード 9104-0007
資料名 勅語勅諭集
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 峯本 哲一(ミネモト テツイチ)
寄贈者(英語) Tetsuichi Minemoto
受入年月日
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 250×150
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 中島新町
被爆地(現町名) 中島町
爆心地からの距離(m) 600
数量 1
内容 県立広島第二中学校1年生の峯本等さん(当時12歳)は、学徒動員先の建物疎開作業現場で被爆した。上半身に大火傷を負いながらも広瀬町まで逃げ、倒れた。近所の人の知らせで駆けつけた父哲一さんや姉信子さんらが名前を叫びながら懸命に捜し、6日の夕方やっと等さんを発見した。医者の家を回ったが、どこも怪我人で一杯で治療を受けられず、自宅に連れ帰った。母キクミさんらがむけて垂れ下がった皮膚をハサミで切り、油を塗るのが精一杯だった。等さんは苦しみながら、火傷で開かない目を手でこじあけて弁当箱を捜したこと、皆で死を覚悟して川の中で歌を歌ったことなどを夜中語り、7日早朝「もう寝るよ」と言ってそのまま息を引き取った。
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
展示説明文 峯本等さん(当時12歳)は、県立広島第二中学校1年生でした。中島新町の建物疎開作業中に被爆しました。上半身に大やけどを負った等さんは、家に帰る途中、倒れているところを近所の人に発見されました。知らせを受けた父の哲一さんは、姉の信子さんなど5人で等さんを迎えに行きました。火災で熱い街の中を捜しまわり、夕方になってようやく横川橋で等さんを見つけることができました。やけどのため、家族でもわからないほど顔が腫れていました。
どの救護所もいっぱいで医師に見てもらうことができません。哲一さんは等さんを自宅に連れて帰りました。母のキクミさんが、むけて垂れ下がった皮膚をはさみで切り、油を塗って手当をしました。等さんは、一晩中「痛い、痛い」と苦しみながらも、被爆してからのことを家族に語りました。7日早朝5時頃「もう寝るよ」とキクミさんに言ってそのまま息を引き取りました。
展示説明文(英語) Hitoshi Minemoto (then 12) was a first year student at Second Hiroshima Prefectural Junior High School. He was exposed to the A-bomb while demolishing buildings in Nakajima-shin-machi. Hitoshi sustained serious burns above the waist and collapsed on his way home. A neighbor found him there. When his father, Tetsuichi, learned the news, he went for him with Hitoshi's older sister Nobuko and three others. They searched through the smoldering hot city and finally found him toward evening near Yokogawa Bridge. Hiroshi's burned face was so swollen even his family failed to recognize him at first.
All the relief stations were full, and they were unable to get a doctor to look at him, so Tetsuichi took Hitoshi home. His mother Kikumi cut away the peeling hanging skin with scissors and painted his burns with oil. He told his family about his A-bomb experience all night long, intermittently crying out, "It hurts! How it hurts!" At about 5:00 a.m. on the 7th, Hitoshi told Kikumi, "I'm going to sleep," and breathed his last.
資料性質 被爆資料

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