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被爆資料

識別コード 7102-0015
資料名 医療器具
資料名(英語)
寄贈者(カナ) 眞田 寬一(サナダ カンイチ)
寄贈者(英語) Kanichi Sanada
受入年月日 1974/09/17
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) 120×80×50
寸法(その他)
被爆地(旧町名) 山口町
被爆地(現町名) 銀山町
爆心地からの距離(m) 1200
数量 1
内容 眞田寬一さんは、当時広島兵たん部所属の陸軍衛生曹長であり、駐屯していた山口町電停の南側の民家で被爆し、倒壊した家屋の下敷きになったが、かろうじて戦友と脱出した。そして、兵たん部の車庫から隊医きゅう2個を取り出し、戦友2人と担いで現場を離脱した。府中国民学校まで避難してここに1週間滞在し、隊医きゅうの中の医薬品を使って60人~70人の応急手当をした。これは、その隊医きゅうの中に入っていたもの。
ブロック別 銀山・幟地区
展示説明文 広島兵站部所属の陸軍衛生曹長の眞田寬一さんは、駐屯していた山口町の民家で被爆しました。倒壊した家屋の下敷きになりましたが、同僚と共に脱出し、兵站部の倉庫から隊医きゅう2個を取り出して府中国民学校まで避難しました。そこで眞田さんたちは、隊医きゅうの中の医薬品を使って負傷者の応急手当を行いました。
展示説明文(英語) Kanichi Sanada was a sergeant major in the Army Medical Corps attached to the Hiroshima Supply Depot. He was exposed to the A-bomb while stationed in a private home in Yamaguchi-cho. He was trapped under the house when it fell, but he and his comrades made their way out. They took two medicine boxes from the commissary warehouse and fled to Fuchu Elementary School. There, Kanichi used the medical supplies in the box to give first aid to the injured.
資料性質 被爆資料

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