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被爆資料

識別コード 4299-0014
資料名 薬莢入れ
資料名(英語) Shell Case Holder
寄贈者(カナ) 灰谷 和子(ハイタニ カズコ)
寄贈者(英語) Kazuko Haitani
受入年月日 2002/05/23
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 520φ×82
被爆地(旧町名) 鷹匠町
被爆地(現町名) 本川町2丁目
爆心地からの距離(m) 500
数量 1
内容 岩本三郎二さん(当時63歳)は、自宅兼鉄工所の洗面所で被爆した。市内に住んでいた二男の道男さん(当時36歳)は、すぐに爆心地に近い自宅へ捜索に入り、柱と見間違うほど黒焦げになり、立った状態で死亡している三郎ニさんの遺体を発見した。建物疎開作業に動員されていた妻のサキさん(当時60歳)は遺体すら見つからず、自宅で被爆した長女久子さん(当時26歳)は自力で逃げていたものの13日に死亡した。15日に岐阜県から長男一明さん(当時38歳)が駆けつけ、防空壕から名職人だった三郎ニさんが製作したこの薬莢入れを発見した。その後生き残った道男さんも1946(昭和21)年11月に原爆症のため死亡した。
ブロック別 十日市・中広地区
展示説明文 薬きょう入れ
灰谷和子氏寄贈(はいたに かずこ)
爆心地から500m 鷹匠町(現在の本川町二丁目)(たかじょうまち・ほんかわちょう)
岩本三郎二(いわもとさぶろうじ)さん(当時63歳)は、自宅兼鉄工所の洗面所で被爆しました。二男の道男(みちお)さん(当時36歳)が、自宅焼け跡へ駆けつけ、立ったまま黒焦げになって亡くなっている三郎二さんを発見しました。妻のサキさん(当時60歳)は行方不明のまま、長女久子(ひさこ)さん(当時26歳)は13日に亡くなり、生き残った道男さんも翌年被爆の影響と思われる症状で亡くなりました。三郎二さんが製作したこの薬きょう入れは、8月15日に岐阜県から駆けつけた長男一明(かずあき)さんが、防空ごうから見つけました。
展示説明文(英語) Shell Case Holder
Donated by Kazuko Haitani
500 m from the hypocenter; Takajo-machi (now, Honkawa-cho 2-chome)
The bomb exploded when Saburoji Iwamoto (63) was standing at the sink in his home ironwork shop. His second son Michio (then, 36) hurried to the burned ruins of the home and found Saburoji’s black-burnt but still erect corpse. Saburoji’s wife Saki (60) was never found. Their eldest daughter Hisako (26) died on the 13th. Michio, who survived initially, died the following year of A-bomb aftereffects. This shell case holder, made by Saburoji, was found in the family bomb shelter by eldest son Kazuaki, who hurried home from Gifu Prefecture and arrived on August 15.
資料性質 被爆資料

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