menu

トップページ被爆資料ボタン

被爆資料

識別コード 3507-0017
資料名 ボタン
資料名(英語) Button
寄贈者(カナ) 玉谷 明(タマヤ アキラ)
寄贈者(英語) Akira Tamaya
受入年月日 2005/04/28
寸法(幅×高さ×奥行)(mm)
寸法(その他) 20φ×5
被爆地(旧町名)
被爆地(現町名)
爆心地からの距離(m)
数量 1
内容 県立広島第二中学校2年生の玉谷明二さん(当時13歳)は、動員学徒先へ向う途中に被爆した。両親が何度も明二さんを捜しに入市したが、明二さんは見つからなかった。1946(昭和21)年5月頃、爆心地から約2,300メートルの愛宕踏切近くで、付近の住民が焼け跡の整理をしていたところ、倒壊した土蔵の下から明二さんらしい遺体が発見された。知らせを受けた両親と明さんが駆けつけ、着衣やボタンなどで明二さんと確認した。
ブロック別
展示説明文 二中のボタン 3507-0017(20 ×5)
玉谷明さんの弟、玉谷明二さん(当時13歳)は、学徒動員先へ行く途中に被爆しました。両親は市内を捜し回りましたが、遺体を見つけることができませんでした。
翌年5月、愛宕踏切近くで、崩壊した土蔵の下敷きになって亡くなっている遺体が発見されました。その着衣や二中のボタンなどから、遺体が明二さんであることが確認され、ようやく明二さんは自宅に帰ることができました。
展示説明文(英語) Second Hiroshima Prefectural Junior High School button
Akira Tamaya's younger brother, Meiji Tamaya (then, 13), was exposed to the bomb on his way to his mobilization site. His parents searched all over town for him but they were unable to find his remains.
In May of the following year, some remains were found under a collapsed earthen storehouse near the Atago railroad crossing. Based on the clothing and buttons, they were able to verify that it was the body of Meiji and finally bring him home.
資料性質 被爆資料

戻る

Page Top