識別コード | 3501-0006 |
---|---|
資料名 | 両側時計 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 八束 要(ヤツヅカ カナメ) |
寄贈者(英語) | Kaname Yatsuzuka |
受入年月日 | 1959/05/30 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | |
寸法(その他) | 40φ×10 |
被爆地(旧町名) | 基町 |
被爆地(現町名) | 基町 |
爆心地からの距離(m) | 1250 |
数量 | 1 |
内容 | 中国軍管区兵器部修理所長だった八束要さん(当時43歳)は、基町の兵器部修理所で被爆、奇跡的に軽傷で、すぐに部下達の救出に当たった。所用で連れてきていた妻愛子さん、四男嘉忠ちゃん(当時1歳)も同所で被爆、嘉忠ちゃんは即死した。わが子の遺体を泣きながら自らの手で荼毘に付し、その後、懸命に部下たちの救護にあたったが、多くが8月末までに死亡した。要さんは毎日修理所の焼け跡で遺骨や遺品を掘り出し、遺族に届けた。自身も9月初めに倒れ、危篤状態となったが、命を取り留めた。これは、集めた遺品の内、持ち主がわからず保管していたもの。八束家では、次男の嘉孝さん(当時13歳)も動員学徒先で被爆し、現在も行方不明。 |
ブロック別 | 基町・白島地区 |
展示説明文 | 八束要さん(当時43歳)は勤務先の中国軍管区兵器部修理所で被爆、奇跡的に軽傷だったため、すぐに部下たちの救出にあたりました。所用で来ていた妻の愛子さん、息子の嘉忠ちゃん(当時1歳)も同所で被爆、嘉忠ちゃんは即死でした。我が子の遺体を泣きながら自ら荼毘に付し、その後、懸命に部下たちの救護にあたりましたが、その多くが8月末までに亡くなりました。要さんは、毎日修理所の焼け跡で、遺骨や遺品を掘り出して遺族に届けました。これは集めた遺品のうち、持ち主が分からず、保管していたものです。要さん自身も9月初めに倒れ、危篤状態になりましたが、どうにか命を取り留めました。 |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |