識別コード | 3201-0012 |
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資料名 | 帽子 |
資料名(英語) | |
寄贈者(カナ) | 吉岡 満子(ヨシオカ ミツコ) |
寄贈者(英語) | YOSHIOKA Mitsuko |
受入年月日 | 1962/07/28 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 300×140 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | 楠木町四丁目 |
被爆地(現町名) | 楠木町四丁目 |
爆心地からの距離(m) | 2200 |
数量 | 1 |
内容 | 崇徳中学校2年生の真鍋哲郎(てつお)さんは、学徒動員で学校防衛隊として警備中、学校前土手で被爆した。背中一面にやけどを負いながらも、哲郎さんはどうにか楠木町の自宅に帰ってきた。被爆により、自宅の屋根は吹き飛び、壁も崩れていた。姉の満子さんは、哲郎さんと共に大芝国民学校の救護所に行ったが、赤チンを塗るくらいの治療しかしてもらうことはできなかった。そこで一緒に寝起きした満子さんが目にしたものは、大けがを負った人々が次々と息絶えていく姿だった。哲郎さんの容体はますます悪くなり、頬には大きな穴ができて膿が流れ、体にはとってもとってもうじが湧いた。治療の度にガーゼはパリパリとはがれ、背中を血膿がたらたらと流れた。その苦しみを、哲郎さんは、ある時は校歌を歌い、ある時は別の歌を口ずさみ、一生懸命耐えた。姉の満子さんの「元気になろうね、頑張ろうね」の言葉にうなずきながら。そんな状況の中でも、哲郎さんは、8月6日の朝建物疎開作業に出たまま行方が分からない母のことは、とうとう最後まで一言も言わなかったという。哲郎さんは、被爆から約40日後、大芝国民学校で亡くなった。 |
ブロック別 | 三篠・祇園地区 |
展示説明文 | |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆資料 |