識別コード | 1201-0013 |
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資料名 | 裁縫糸 |
資料名(英語) | Spools of Sewing Thread |
寄贈者(カナ) | 藤澤 敏子(フジサワ トシコ) |
寄贈者(英語) | Toshiko Fujisawa |
受入年月日 | 2004/11/25 |
寸法(幅×高さ×奥行)(mm) | 90×300×30 |
寸法(その他) | |
被爆地(旧町名) | |
被爆地(現町名) | |
爆心地からの距離(m) | |
数量 | 1 |
内容 | 藤澤節子さん(当時23歳)は新川場町にあった勤務先の会社で被爆した。建物の下敷きになったがかろうじて脱出し、船越の叔父宅へ逃れた。3日後、捜しに来た母親のコタケさん(当時46歳)と再会し、両親や弟妹とともに三次の親類宅へ身を寄せた。放射線の影響か、節子さんの唇は大きく腫れ、体は触れないほど熱くなっていた。脱毛、鼻血、吐血、下血と症状は悪化し、8月18日肉親に見守られる中、節子さんは「さようなら」と一人ひとりに言いながらなくなった。これは和・洋裁の免状を持っていた節子さんが大切にしていたもので、疎開させていたもの。 |
ブロック別 | |
展示説明文 | 裁縫糸 藤澤敏子氏寄贈 藤澤節子さん(当時23歳)は新川場町で被爆。建物の下敷きになりましたがかろうじて脱出し、船越の叔父宅へ逃れました。3日後、捜しに来た母親のコタケさん(当時46歳)と再会し、両親や弟妹とともに三次の親類宅へ身を寄せました。放射線の影響か、節子さんの唇は大きく腫れ、高熱、脱毛、下血と症状は悪化し、8月18日、節子さんは「さようなら」と一人ひとりに言いながら亡くなりました。これは和・洋裁の免状を持っていた節子さんが大切にしていたもので、疎開させていたものです。 |
展示説明文(英語) | |
資料性質 | 被爆関連資料 |