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トップページ原爆の絵地図 "吉島・舟入・観音地区"

原爆の絵

地図 "吉島・舟入・観音地区" で 378 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
221 WH05-028 広島県庁付近の熊己邸の出勤風景 知久 喜代野(チク キヨノ) 昭和10年頃 熊己邸
222 SG-0409 広島県庁の焼け跡 松田 尚鐵(マツダ ナオテツ) 水主町
223 WH01-020 広島県庁 斉藤 安子(サイトウ ヤスコ) 昭和10年 広島県庁
224 SG-0341 広島市舟入町江波の救護所へ急ぐ火傷した人 神谷 一雄(コウヤ カズオ) 1945/8/6 舟入町
225 SG-0343 広島市舟入町から江波の救護所へ急ぐ火傷した人 神谷 一雄(コウヤ カズオ) 1945/8/6 舟入町
226 SG-0627 広島市立中島国民学校 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1943頃 中島国民学校
227 SG-0345 広島市江波陸軍病院の外で治療を待つ火傷患者 神谷 一雄(コウヤ カズオ) 1945/8/7
228 NG183-12 広島上空をB29が通過。警戒警報が解除になり、昭ちゃんはそのまま眠った。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院
229 SG-0500 広島三菱造船所社宅にて被爆 横田 礼右(ヨコタ ヒロスケ) 1945/8/6 南観音町
230 SG-0595 広商の野球の練習を見に行った 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1941初め~夏頃 県立広島商業学校
231 GE04-23 幼児の死体を焼場に運ぶ兵隊、はみ出した手足がぶらぶらゆれている 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/11 広島第一陸軍病院江波分院
232 NG377-02 干潮のため傾いた舟から出てみると皆並んだまま息絶えていた。顔が同じように丸くふくれていた。 山本 弘子(ヤマモト ヒロコ) 1945/8/7 住吉橋東詰
233 SG-0364 帽子のところだけ髪の毛が残り、ぼろぼろで見るかげもない男性 杉本 信夫(スギモト シノブ) 1945/8/6
234 GE20-10 師を信じ励ましあいながら死んでいった女学生たち 川口 シマ子(カワグチ シマコ) 木挽町から水主町付近
235 GE27-04 布団を持って水に入る作者と燃える橋、羽田別荘ドームも燃えている 佐伯 實(サイキ ミノル) 1945/8/6 観船橋
236 NG460-03 市民が描いた原爆の絵NG460-03 池亀 春男(イケガメ ハルオ) 1945/8/6 広島県聾学校
237 NG460-02 市民が描いた原爆の絵NG460-02 池亀 春男(イケガメ ハルオ) 1945/8/6 広島県聾学校
238 NG460-01 市民が描いた原爆の絵NG460-01 池亀 春男(イケガメ ハルオ) 1945/8/6 広島県聾学校
239 SG-0299 市内から西大橋を渡って逃れる多くの人びと。近くの食肉処理場からは牛が逃げ出していた。 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 西大橋西詰め付近
240 WH05-002 市会議場 小野 勝(オノ マサル) 昭和3年 市会議場

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