地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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101 | SG-0326 | 命の氷 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 宇品駅付近 | |
102 | NG284-01 | 司令部の門前には負傷者が横たわっていた。赤ん坊が泣き出し母親は私たち兵隊をにらんだ。 | 田口 清三郎(タグチ セイザブロウ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部門前 | |
103 | GE08-22 | 収容者名簿の掲示板を見てため息をつく人々 | 下谷 軍一(シモタニ グンイチ) | 1945/8/12 | 宇品町東部桜土手付近 | |
104 | GE10-11 | 収容された負傷者を看護する兵隊、死体を運ぶトラック | 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) | 陸軍船舶司令部(暁部隊) | ||
105 | GE35-06 | 収容された負傷者で足の踏場もない倉庫、夫を火葬する | 落合 フミコ(オチアイ フミコ) | 1945/8/8 | 広島陸軍被服支廠 | |
106 | GE37-24 | 勤労奉仕に出て被爆し、家に帰ってきた主人の姿 | 高 サナ(タカ サナ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 | |
107 | SG-0435 | 凱旋館で暁部隊から治療を受ける。海岸に出ると治療を終えた人たちが、仮設屋根の下で休んでいた。 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 広島港埠頭(凱旋門会館前) | |
108 | NG267-01 | 兵器庫の横の空き地で支給された兵器を点検している兵士たち | 川田 義男(カワタ ヨシオ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部(暁部隊) | |
109 | NG267-02 | 兵器庫の事務室で作業をしながら出られなかった朝礼に出る気になった。これが運、不運の岐路となる。 | 川田 義男(カワタ ヨシオ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部(兵器庫事務室) | |
110 | GE08-47 | 全身火傷で腸が腹からぶら下がりながら歩く男性 | 初谷 忠曷(ハツヤ タダカツ) | 1945/8/6 | 宇品十三丁目電停前 | |
111 | GE36-49 | 倉庫に収容された人々、中学生や母親に抱かれた乳飲み子 | 島川 六男(シマカワ ムツオ) | 1945/8/6~8/8 | 陸軍運輸部金輪島工場物品倉庫 | |
112 | NG304-03 | 何秒かが過ぎ黄色の火の中に飛び込んだ感じだった。音はまったくわからず爆風が過ぎるまでの記憶がない。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/6 | 広島逓信講習所 | |
113 | NG304-04 | 何秒かが過ぎてB29の方角を見るとそこには想像できないくらい大きなドーナツ型の火のかたまりがあった。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/6 | 広島逓信講習所 | |
114 | NG267-08 | 中学生らしい少年は頭は包帯でまかれ手と足も包帯に血がにじみ皮膚は真っ黒に焼けていた。 | 川田 義男(カワタ ヨシオ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部(仮設救護所) | |
115 | SG-0156 | 中国軍管区司令部陸軍歩兵西部第二部隊宇品港より南方戦々へ | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 宇品港 | ||
116 | GE02-15 | リヤカーに子どもを乗せて運ぶ婦人,海岸に並べられた負傷者 | 中島 ツルヨ(ナカシマ ツルヨ) | 1945/8/6 | 広島陸軍軍需輸送統制部 | |
117 | SG-0170 | ペチャンコの寄宿舎 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 皆実町広島師範学校予科寮倒壊現場 | |
118 | NG384-03 | ドーンという音とともに屋根瓦がガラガラと雨のように目の前に落ちてきた。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 | |
119 | GE39-16 | トラックに乗せられる人、火傷で泣き叫ぶ男の子 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島地方専売局南側電車通 | |
120 | GE23-29 | トラックで運ばれる被災者火傷で背中の皮膚がボロのように垂れ下がり、泣き叫ぶ男の子 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島地方専売局前 |