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トップページ原爆の絵地図 "皆実・宇品地区"

原爆の絵

地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
81 NG224 家の前をケガやヤケドをした人々が安全な場所を求めて苦しそうに逃げて来た。 内海 昭子(ウツミ アキコ) 1945/8/6 皆実町二丁目
82 WH07-021 宇品西堤防 中村 マサノ(ナカムラ マサノ) 大正初期 宇品西堤防
83 WH08-025 宇品糧秣支廠の屠殺場 上西 薫(カミニシ カオル) 昭和13年 宇品陸軍糧秣支廠
84 WH13-007 宇品町の電車道 島川 六男(シマカワ ムツオ) 昭和2年8月頃 宇品町の電車道
85 WH02-003 宇品湾でのボートレースの思い出 折田 憲三(オリタ ケンゾウ) 大正14年頃 広島港
86 WH03-007 宇品港の思い出 原田 照美(ハラダ テルミ) 昭和14年末 宇品港
87 NG044-05 宇品桟橋に積まれた死体と似島。助かる見込みのある人たちが船で似島に運ばれた。 清水 正明(シミズ マサアキ) 広島港
88 WH04-006 宇品周辺 古谷 稔(フルタニ ミノル) 大正12年頃 丹那橋
89 SG-0460 宇品凱旋館の中でアカチンを塗ってもらい、少しの間休む 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 凱旋門会館内
90 NG304-11 宇品より船で故郷に帰る。船の甲板には4人の死者か重傷者かもわからない人が寝ていた。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/10 広島港
91 GE44-69 宇品の陸軍船舶司令部に収容され、三日目にようやく治療を受ける、その後坂の国民学校に移送される 香川 勇(カガワ イサム) 1945/8/6~1945/8/13 陸軍船舶司令部
92 GE37-09 宇品の広島陸軍共済病院へ向う被爆者 槻山 妙子(ツキヤマ タエコ) 1945/8/6 宇品電車通り
93 WH13-005 宇品のボラ舟 小野 勝(オノ マサル) 昭和初期 宇品町
94 NG432 宇品から似島検疫所に船で負傷者を運ぶ。皆全裸でやけどし水を欲しがっていた。3日間作業は続いた。 福田 安次(フクダ ヤスジ) 1945/8/6 広島港
95 GE30-22 宇品から似島検疫所に向う 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/6 広島港、宇品市営桟橋
96 SG-0415 学校での遺体の火葬。焼け残った部分をカラスが食べに来た 村上 凡子(ムラカミ ナミコ) 1945/8/7~15 広島女子専門学校
97 NG304-08 子どものために炊事をしている女性。手当てしたあともなくやけどの傷をむき出しにしていた。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/8 広陵中学校近く
98 NG314-22 夜がふけてきたので広島港広場の防空ごうの上で夜を明かす。市内はまだ燃え続けているようだった。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/6 広島港
99 NG326-02 夜あちこちで遺体が荼毘に付され、やけどや傷を負った人々のうめき声が聞こえた。 吉岡 隆子(ヨシオカ タカコ) 1945/8/6 宇品の土手
100 NG326-01 夜あちこちで遺体が荼毘に付され、やけどや傷を負った人々のうめき声が聞こえた。 吉岡 隆子(ヨシオカ タカコ) 1945/8/6 宇品の土手

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