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原爆の絵

地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
61 NG457-02 暁6140部隊のトラックで運ばれる負傷者たち 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) 野戦船舶本廠
62 NG384-04 数時間後、雑魚場町へ建物疎開作業に行っていた母がやけどを負い帰ってきた。 古林 和夫(コバヤシ カズオ) 1945/8/6 翠町弥生通り
63 GE23-14 手当を求めて集って来た火傷の人々が死んでいった。 太田 勝子(オオタ カツコ) 1945/8/6 広島陸軍共済病院
64 SG-0618 必死に母を求めながら亡くなった女学生 多田 キクエ(タダ キクエ) 1945/8/8 広島陸軍共済病院
65 SG-0421 御幸橋東詰で「罹災証明書」を渡す警察官 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 御幸橋東詰
66 WH12-004 広島陸軍被服支廠付近でお手玉をする子どもたち 原田 みどり(ハラダ ミドリ) 大正~昭和初期 広島陸軍被服廠付近
67 NG024-12 広島陸軍被服支廠に勤務する。朝7時に出勤、軍人勅諭を朗読して仕事に着く。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 広島陸軍被服支廠
68 GE01-44 広島陸軍被服支廠での救護の状況 草田 隆夫(クサダ タカオ) 1945/8/6 広島陸軍被服支廠
69 SG-0152 広島陸軍検疫所での軍馬の検査 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 宇品港付近
70 GE13-43 広島被服支廠内多くの学徒動員が水をほしがって死んでいった 井上 ツワノ(イノウエ ツワノ) 1945/8/6 広島陸軍被服支廠
71 WH14-115 広島港は兵隊のみならず馬もでた 上西 薫(カミニシ カオル) 昭和15年頃 宇品港
72 WH02-007 広島港の思い出 川上 恵美香(カワカミ エミカ) 戦前 広島港
73 NG176-03 広島港の市営桟橋にはたくさんの負傷者がいた。皆焼けただれてふくれあがり男女の区別もつかなかった。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 広島港市営桟橋
74 WH01-044 広島港でのボートレースの思い出 吉村 エイ(ヨシムラ エイ) 広島港
75 NG292-01-21 広島港から船で矢次さんの下宿のある似島に向かう。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 広島港
76 WH05-001 広島港 兜山 年子(カブトヤマ  トシコ) 広島港
77 SG-0155 広島歩兵西部第二部隊へ入隊 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 宇品陸軍基地(陸軍船舶司令部)
78 WH07-025 広島女子専門学校前の停留所風景 河本 千代子(カワモト チヨコ) 昭和10年頃 広島女子専門学校前の停留所
79 GE41-01 市街地上空に大きな綿菓子のような白いかたまりが浮かび上がった 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) 1945/8/6 金輪島から見た市街地上空
80 NG176-04 島の人たちも、仕事や学校で広島に出ていた。「一刻も早く帰りたい」と広島港桟橋へ向かった。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 宇品海岸通

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