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トップページ原爆の絵地図 "皆実・宇品地区"

原爆の絵

地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
41 NG076-02 陸軍潜水艇ゆ艇。これに乗って広島湾で演習中にきのこ雲を見る。 鈴木 旭(スズキ アキラ) 1945/8/6 広島港
42 NG292-01-21 広島港から船で矢次さんの下宿のある似島に向かう。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 広島港
43 NG304-11 宇品より船で故郷に帰る。船の甲板には4人の死者か重傷者かもわからない人が寝ていた。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/10 広島港
44 NG314-22 夜がふけてきたので広島港広場の防空ごうの上で夜を明かす。市内はまだ燃え続けているようだった。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/6 広島港
45 NG432 宇品から似島検疫所に船で負傷者を運ぶ。皆全裸でやけどし水を欲しがっていた。3日間作業は続いた。 福田 安次(フクダ ヤスジ) 1945/8/6 広島港
46 WH01-044 広島港でのボートレースの思い出 吉村 エイ(ヨシムラ エイ) 広島港
47 WH02-003 宇品湾でのボートレースの思い出 折田 憲三(オリタ ケンゾウ) 大正14年頃 広島港
48 WH02-007 広島港の思い出 川上 恵美香(カワカミ エミカ) 戦前 広島港
49 WH05-001 広島港 兜山 年子(カブトヤマ  トシコ) 広島港
50 GE29-44 負傷者を船で運ぶ 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/6 広島港、宇品市営桟橋
51 GE30-22 宇品から似島検疫所に向う 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/6 広島港、宇品市営桟橋
52 GE20-11 無数の被災者を舟で似島に運ぶ 花里 儀一(ハナサト ギイチ) 1945/8/7 広島港、宇品東浮桟橋
53 GE44-35 死体を舟に山積にして運びだしていた 堀 輝人(ホリ テルト) 1945/8/7 広島港、宇品陸軍桟橋
54 NG313 見るも無残な負傷者が次々と運び込まれてきた。「兵隊さん、水をください。」と呼ぶ声にかけ回った。 江村 良雄(エムラ ヨシオ) 1945/8/6 広島港付近
55 SG-0435 凱旋館で暁部隊から治療を受ける。海岸に出ると治療を終えた人たちが、仮設屋根の下で休んでいた。 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 広島港埠頭(凱旋門会館前)
56 NG176-03 広島港の市営桟橋にはたくさんの負傷者がいた。皆焼けただれてふくれあがり男女の区別もつかなかった。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 広島港市営桟橋
57 NG304-02 運動場から旋回するB29を見る。誰かが「B29が何かを落とした。」と叫んだ。しかし私には何も見えなかった。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/6 広島逓信講習所
58 NG304-03 何秒かが過ぎ黄色の火の中に飛び込んだ感じだった。音はまったくわからず爆風が過ぎるまでの記憶がない。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/6 広島逓信講習所
59 NG304-04 何秒かが過ぎてB29の方角を見るとそこには想像できないくらい大きなドーナツ型の火のかたまりがあった。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/6 広島逓信講習所
60 NG304-05 運動場にスズメが一羽落ち、学校の塀が何十mにも渡り同じ方向に倒れていた。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/6 広島逓信講習所

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