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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 397 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
341 NG263-03 国泰寺の大クスノキ。焼け残った木が遠くから良く見えた。 加川 宏(カガワ ヒロシ) 国泰寺
342 NG263-01 自宅の焼け跡近くに何体かの黒焦げの死体があった。家の近所の人かもしれないと思った 加川 宏(カガワ ヒロシ) 1945/8/6 昭和町の自宅近く
343 NG424 橋の上は歩道も路面電車の軌道上も負傷者でいっぱいで、真中に人が通れるほどのはばが空けてあった。 別所 幸恵(ベッショ サチエ) 1945/8/6 御幸橋
344 GE06-45 病院前に足の踏み場もない程倒れている被災者 初谷 忠曷(ハツヤ タダカツ) 1945/8/9 広島赤十字病院
345 GE41-26 広島電鉄付近の電車通りの馬の死体 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/10 広電電鉄付近の電車通り
346 GE41-23 元安川の川面を流れる死体 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/9 明治橋
347 GE41-22 公衆浴場あとで死体を焼く 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/9 大手町九丁目(公衆浴場)
348 GE41-20 通信機関が途絶し口うつし通信が行なわれた 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/9 千田町
349 GE41-19 日赤玄関階段の負傷者 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/8 広島赤十字病院玄関階段
350 GE41-18 虫歯の治療あとを手がかりに肉親をさがす 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/8 広島赤十字病院入口
351 GE22-23 「兵隊さんがたくさん死んどってじゃ」と人々が話していた 兜山 年子(カブトヤマ  トシコ) 1945/8/6 修道中学校
352 GE03-26 電線にぶらさがり血を流す憲兵 先小山 勝(サキコヤマ マサル) 1945/8/6 大手町八丁目付近
353 SG-0573 被爆の翌日、元安川下流で、原爆に焼かれ背びれを失いながら泳ぐフナ 佐野 博敏(サノ ヒロトシ) 1945/8/7 元安川下流(千田町付近)
354 GE11-41 倒壊した校舎の下から這い出して来る生徒達に先生が逃げるよう指示している 佐藤 祝子(サトウ ノリコ) 1945/8/6 広島女子高等師範学校
355 NG406-02 姉の弁当箱と2人の白骨を見つける。どちらが姉かわからないので両方の骨の一部を持ち帰った。 佐藤 泰子(サトウ ヤスコ) 1945/8/7 東保健所
356 GE36-45 燃える南大橋の欄干と避難する人々 佐伯 千代香(サエキ チヨカ) 1945/8/6 南大橋
357 GE09-30 元安川に飛び込んで亡くなった人々。目玉は飛び出し、腹の腸は渦を巻いて外に出ていた。 佐々木 正名(ササキ マサナ) 1945/8/8頃 万代橋
358 NG052-04 火災で黒焦げになり炭のようになった人と立木。 佐々木 智佐子(ササキ チサコ) 広島市役所辺り
359 NG052-03 黒焦げとなって倒れていた軍馬の死体。 佐々木 智佐子(ササキ チサコ) 大手町六丁目辺り
360 NG052-01 炎に包まれた二階の窓から助けを求める幼女の声。いまだに忘れることができない。 佐々木 智佐子(ササキ チサコ) 広島赤十字病院付近
   

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