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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 397 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
221 GE35-13 若い女性が3~4人水道の水を飲んでいた 杉原 悟(スギハラ サトル) 1945/8/6 鷹野橋停留所付近
222 GE36-20 広島女子高等師範学校付属山中高等女学校で肉親を火葬する人、川に流されないよう杭で止められた死体 木村 幸作(キムラ コウサク) 1945/8/7 南大橋
223 GE27-19 水漕の水を求める被爆者たち、火傷で皮膚がたれ下がった人 木村 巖(キムラ イワオ) 1945/8/6 広島市役所
224 WH14-132 大手町付近の風景 有馬 千代(アリマ チヨ) 昭和16年12月~昭和19年12月 大手町八丁目
225 WH01-054 広島市役所附近 有馬 千代(アリマ チヨ) 広島市役所付近
226 NG271 プールや校庭で息絶えた中学生たち。道路側ではれんが塀が崩れ、多くの人々が下敷きになって死んでいた。 有村 行夫(アリムラ ユキオ) 1945/8/8 県立広島第一中学校
227 NG272 学校のプールの東側で見た若い女性の死体。地面に座ったまま半泣きの表情で爪が胸に立てられていた。 有村 ひろ子(アリムラ ヒロコ) 1945/8/8 県立広島第一中学校
228 NG304-10 道路にはやけどで生死もわからない人が無数に横たわっていた。全身やけどで死直前の警察官が歩いていた。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/8 御幸橋付近
229 GE16-28 市内各地のようす(住吉橋で死んだ母と子など) 明井 吉郎(ミョウイ キチロウ) 1945/8/6 御幸橋
230 GE15-47 橋の上の母と子、川を流れる死体 明井 吉郎(ミョウイ キチロウ)、竹田 初枝(タケダ ハツエ) 1945/8/6 明治橋西詰
231 SG-0455 広島赤十字病院入り口付近。傷ついた人たちが治療を受けるために待っていた。その中に、お腹に車掌カバンのようなものを身に着けた一人の女性が寝かされていた。自分たちが広島赤十字病院を出たときには、その女性はもういなかった。 新田 臺吉(ニッタ ダイキチ) 1945/8/7 広島赤十字病院入り口付近
232 NG211 橋のそばの立て札と川から引き上げられたたくさんの死体が山のようになっていた。 新田 カツ(ニッタ カツ) 1945/8/7 御幸橋
233 GE26-21 頭だけ梁の下敷になった妹を助けられなかった 打越 嘉子(ウチコシ ヨシコ) 1945/8/6 平野町
234 GE45-29 建物の下敷きになりようやく這い出すが、同僚を助け出すことができなかった 徳富 ヨシコ(トクトミ ヨシコ) 1945/8/6 広島市健康指導所
235 GE17-10 御幸橋方面へ泣きながら避難する親子 平岡 隆(ヒラオカ タカシ) 1945/8/6 平野町より広島電鉄裏側付近の道
236 GE12-02 壁にもたれている女性の肩から腕に「うじ虫」が発生している。 平岡 隆(ヒラオカ タカシ) 1945/8/13頃 広島赤十字病院
237 GE04-25 路上でミイラのように黒く焼けた人 平岡 隆(ヒラオカ タカシ) 1945/8/7 平野町500番地あたりの路上
238 GE16-25 被爆の惨状 平井 ツルヨ(ヒライ ツルヨ) 1945/8/6~8/7 県立広島第一中学校、雑魚場町
239 NG267-09 焼け野原となった街を自転車で行く。はるかに山の稜線が幻のように見えた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/7 御幸橋付近
240 WH05-014 平田屋川の土手の三本のマツ 嶋末 勝(シマスエ マサル) 明治30年前後 南竹屋町の平田屋川の土手

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