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原爆の絵

地図 "銀山・幟地区" で 158 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
121 NG181-03 橋の橋脚に流れついた死体 妙見 法彦(ミョウケン ノリヒコ) 1945/8/6 京橋川、稲荷町電車専用橋
122 GE45-19 黒こげの死体 好井 博(ヨシイ ヒロシ) 1945/8/9 京橋通り
123 GE37-04 黒焦げの死体を見て手を合わせる。京橋川にはたくさんの人や馬の死体が流れている 奥野 浅子(オクノ アサコ) 1945/8/8 京橋
124 GE23-43 縮景園,女学院附近の家々の地図 大松 光子(オオマツ ミツコ) 鉄砲町付近
125 WH13-018 柳橋が架かる前の渡し舟の風景 増田 節雄(マスダ セツオ) 明治35年頃 柳橋
126 WH05-015 稲荷町電車専用橋 増田 節雄(マスダ セツオ) 稲荷町電車専用橋
127 GE13-40 焼け跡の市内を肉親知己の遺体を求めて歩く 増田 節雄(マスダ セツオ) 1945/8/7 仮設広島東警察署前
128 GE06-18 避難した無数の負傷者が水を求める中、弟、妹を捜す 土居 ミチ(ドイ ミチ) 1945/8/7 縮景園
129 GE18-08 黒い雨の中、流れにさからって泳ぐ 土井 貞子(ドイ サダコ) 1945/8/6 縮景園裏
130 NG451 放送局前でラジオを抱え待っていた人たちのやけどした真っ赤な顔 和久野 幸子(ワクノ サチコ) 1945/8/6 広島中央放送局前
131 WH14-060 柳橋東詰の思い出 古川 正一(フルカワ ショウイチ) 大正8、9年頃 柳橋東詰
132 GE16-17 救護所での被災者達、ほとんどの人が手当もなく皆虫の息であった。 古川 正一(フルカワ ショウイチ) 1945/8/9 広島東警察署
133 NG335-03 がれきの中に2~3倍にふくれあがった若い兵士の遺体が整然と並べられているのを見た。 原田 敬二(ハラダ ケイジ) 1945/8/7か、8/8 広島東警察署
134 GE27-24 広島陸軍偕行社附属済美学校1年生の息子の遺体を見つける 原 守夫(ハラ モリオ) 1945/8/8 縮景園付近、石材店作業所広場
135 NG429 放送局玄関の斜め左道路の中央南に向かって黒いものがあった。幼児を左腕に抱えた母親の死体だった。 北村 弘(キタムラ ヒロシ) 1945/8/7 広島中央放送局前
136 GE33-23 橋の袂に並んだ死体、上半身だけ黒く焼け残った母子の姿、死体を山と積み重ね焼く光景 勝田 光子(カツタ ミツコ) 1945/8/8 栄橋付近
137 NG391-04 避難する人はみな白島方面に向かっていた。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町
138 NG391-03 姉を捜しに行こうとしたが避難する人々で道はあふれ遠くではすでに火災が発生してできなかった。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町の自宅前
139 NG391-02 家の下敷きになった両親を救出する。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町の自宅
140 NG391-01 被爆前の自宅 前田 修治(マエダ シュウジ) 1928~1945/8 鉄砲町の自宅

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