地図 "銀山・幟地区" で 158 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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101 | GE14-39 | 原爆投下直後の電車の中、重傷者を踏んで逃げだす | 山本 節子(ヤマモト セツコ) | 1945/8/6 | 白島線縮景園前 | |
102 | NG158-03 | 酒屋の店にあったビール、ラムネの瓶。原爆の火災等で瓶の頭部が溶けたものと思われる。 | 山岡 崇義(ヤマオカ タカヨシ) | 1945/8 | 平塚町あたり | |
103 | NG157-01 | 妹を捜す時に見た橋のたもとにうずくまる真っ黒に膨れ上がった人。幼い子どものように見えた。 | 山中 昭子(ヤマナカ アキコ) | 1945/8/7 | 京橋 | |
104 | SG-0590 | 銀山町付近に乱立した金庫、稲荷橋電車専用橋 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945末 | 銀山町附近 | |
105 | WH11-011 | 日本メソジスト教会(のちの広島流川教会) | 小野山 博子(オノヤマ ヒロコ) | 昭和5年頃 | 日本メソジスト教会(のちの広島流川教会) | |
106 | WH01-039 | 泉邸 | 小野山 博子(オノヤマ ヒロコ) | 昭和8年頃 | 泉邸 | |
107 | GE34-46 | 縮景園の東側川べりに避難 | 小早川 静枝(コバヤカワ シズエ) | 1945/8/6 | 縮景園 | |
108 | GE25-40 | 火の玉が光った瞬間、大音響とともに、吹き飛ばされた。目をあけると全身やけどの人が歩いていた。 | 小早川 静枝(コバヤカワ シズエ) | 1945/8/6 | 幟町の自宅 | |
109 | SG-0218 | 上流川教会付近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 上流川教会付近 | ||
110 | NG019-19 | 幟町より上流川 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 幟町より上流川 | ||
111 | NG019-10 | 幟町天主公教会付近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 幟町天主公教会付近 | ||
112 | GE03-35 | 建物のこわれたようす | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 1945/9/中旬 | 幟町地区から流川教会 | |
113 | GE31-04 | 泉邸裏に逃げてきた人々 | 小原 カネ(オバラ カネ) | 1945/8/6 | 栄橋西詰 | |
114 | NG114-03 | 縮景園の池のほとりに並んで水を飲む負傷者たち。翌日同じように並んでみな死んでいた。 | 小久保 三好(コクボ ミヨシ) | 1945/8/6~8/7 | 縮景園 | |
115 | NG114-02 | やけどで顔がはれあがった負傷者たち。糸のような目と口、穴だけの鼻と耳、老若男女の区別もつかなかった。 | 小久保 三好(コクボ ミヨシ) | 1945/8/6 | 栄橋 | |
116 | GE45-39 | 建物疎開のあとの木材を薪にするために持ち帰る | 宮沢 生駒(ミヤザワ イコマ) | 1945/8/6 | 下柳町 | |
117 | GE08-12 | 火災で崩れ落ちそうな家の前で、子供が布団をかぶりお母さん熱いよと泣き叫んでいる | 宗清 永市(ムネキヨ エイイチ) | 1945/8/6 | 柳橋 | |
118 | NG110-01-02 | 自宅近くの路上で見た焼死した母子。母親と妹ではないかと感じたが、確認せずにその場を離れた。 | 安原 義治(ヤスハラ ヨシハル) | 1945/8/7 | 広島放送局付近 | |
119 | NG110-01-01 | 自宅近くの路上で見た焼死した母子。母親と妹ではないかと感じたが、確認せずにその場を離れた。 | 安原 義治(ヤスハラ ヨシハル) | 1945/8/7 | 広島中央放送局付近 | |
120 | GE10-41-4 | くすぶり続ける建物 | 宇野 耕司(ウノ コウジ) | 1945/8/8 | 中国新聞社付近 |