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原爆の絵

地図 "銀山・幟地区" で 158 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
61 WH11-003 泉邸(現在の縮景園) 浅野 敏雄(アサノ トシオ) 縮景園
62 NG229 焼け跡で家の下敷きになり焼け死んだ母と姉の遺骨を拾う。放送局の前には黒焦げの母子の死体があった。 波多野 ヤエ子(ハタノ ヤエコ) 1945/8/7 広島中央放送局前
63 SG-0402 崩れる人の形をした灰 泉原 寅男(イズハラ トラオ) 1945/8/9 栄橋
64 NG399-03 原爆投下2年前、自宅近くの柳橋のふもとの川で見た赤いカニ。 河野 しのぶ(カワノ シノブ) 1943 柳橋のたもと
65 GE16-10 火の海となった市内、重傷の母を背負って避難する。 池田 全光(イケダ ゼンコウ)、池田 智枝子(イケダ チエコ) 1945/8/6 栄橋西詰付近
66 GE35-18 4歳位の男の子の四つん這いのまま炭になったような焼死体 池田 キミヱ(イケダ キミエ) 1945/8/8 下流川町辺り
67 GE31-17 川に折重なる死体 江種 茂(エグサ シゲル) 1945/8/7 縮景園の北端付近の川
68 GE24-41 繃帯姿の二人の県庁職員 永尾 勝實(ナガオ カツミ) 1945/8/7 広島東警察署
69 GE40-31 水を求めて川岸で息絶えた人々 武田 明人(タケダ アキト) 1945/8/7 京橋
70 NG443 子どもを守るような姿勢のまま黒焦げになった母子 植田 貢(ウエダ ミツグ) 1945/8/7 上流川町の広島中央放送局前の道路
71 WH14-016 幟町国民学校の運動場にあった奉安殿 森重 信夫(モリシゲ ノブオ) 昭和16年~20年 幟町国民学校
72 GE32-06 配給のために夜仮県庁に到着する。翌朝多くの人が死亡していた 森川 信一(モリカワ シンイチ) 1945/8/8 山口町
73 NG398 鍋に川の水を運んでわかしていた。「水をください。」という人に鍋の湯をさましては飲ませてあげた。 根本 小夜子(ネモト サヨコ) 1945/8/6 縮景園近く
74 NG068 亡くなった我が子を抱きしめている放心状態の母親。やけどのため顔がはれ目がほとんど見えない男の子。 柴田 フミ子(シバタ フミコ) 1945/8/6 平塚町
75 WH14-137 薬研堀町でのセミ捕り風景 松室 一雄(マツムロ カズオ) 薬研堀町
76 WH13-068 京橋川の稲荷町電車専用橋付近の遊泳風景 松室 一雄(マツムロ カズオ) 稲荷町電車専用橋
77 WH13-062 柳橋の漁の風景 松室 一雄(マツムロ カズオ) 柳橋
78 WH10-011 下柳町巡査派出所付近 松室 一雄(マツムロ カズオ) 下柳町巡査派出所付近
79 WH06-007 田中町の墓所 松室 一雄(マツムロ カズオ) 田中町
80 GE10-50 つぶれた家で焼け死ぬ人 松室 一雄(マツムロ カズオ) 1945/8/6 薬研堀の自宅前

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