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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
581 GE30-32 市内の状況 山本 正人(ヤマモト マサト) 1946/2/22 大手町筋
582 GE10-31 防火用水槽で息たえた人々 田坂 元(タサカ ハジメ) 1945/8/6 大手町電車通り
583 GE30-12 校舎は救護所となり、教室・廊下は悲鳴が満ち溢れる 米尾 淑子(ヨネオ ヨシコ) 1945/8/6 大林国民学校
584 GE26-34 毎日毎日焼場に担架で運ばれる死体を見送る 米尾 淑子(ヨネオ ヨシコ) 1945/8/7~8/10頃 大林国民学校校庭
585 GE38-04 真赤な広島の空を見て泣く子供達、寺の階段をボロ布のような1人の母親がたどりつき広島の様子を知らせる。 米尾 淑子(ヨネオ ヨシコ) 1945/8/6 大林説教所
586 GE22-18 川の杭にしがみついたかのような水ぶくれの遺体 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) 1945/8/15 大正橋
587 GE30-14 失神しそうになる少女と励ます兵隊 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) 1945/8/6 大正橋付近
588 GE42-41 大正橋で被爆し饒津神社までの道のり 瀬戸 芳松(セト ヨシマツ) 1945/8/6 大正橋~饒津神社
589 GE06-24 医者に治療を受ける娘、治療を繰り返すが、21日に亡くなる 奥野 浅子(オクノ アサコ) 1945/8/11~8/21 大河国民学校
590 GE11-23 やけどをした患者を手当てする医師と運動場での火葬 田村 孝子(タムラ タカコ) 1945/8/13 大河国民学校
591 GE13-41 治療のためメスで膿みを削り取られ、痛さに泣き叫ぶ中学生たち 奥野 浅子(オクノ アサコ) 1945/8/11 大河国民学校
592 GE25-23 背中一面に突き刺さったガラス破片をとっている医師 西尾 達男(ニシオ タツオ) 1945/8/8 大河国民学校
593 GE40-05 大河国民学校 救護所、次々と亡くなる人を火葬にする 藤村 光子(フジムラ ミツコ)、藤村 智子(フジムラ トモコ) 1945/8/8 大河国民学校
594 GE37-05 被爆直後、ハス田から見た色とりどりのきのこ雲 立田 コミ子(タツタ コミネ) 1945/8/6 大河国民学校付近
595 GE13-21 手当てを待つ人々の列、校庭の芋畑いっぱいに並べられた負傷者と死者、火葬する兵隊達 高田 滿(タカタ ミツル) 1945/8/6 大河国民学校校庭
596 GE02-42-5 枕木の燃える大洲口宇品線鉄橋 宇野 耕司(ウノ コウジ) 1945/8/6 大洲口宇品線鉄橋
597 GE39-02 大竹から見たきのこ雲 村井 一三(ムライ カズソウ) 1945/8/6 大竹
598 GE44-55 包帯でグルグル巻きにされた火傷の人 中本 源次(ナカモト ゲンジ) 大竹
599 GE44-56 ケロイドと水泡でふさがれた負傷者の肌、ウジがわき悪臭がものすごい 中本 源次(ナカモト ゲンジ) 大竹
600 GE44-58 救護所の医療具 中本 源次(ナカモト ゲンジ) 大竹

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