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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(昭和49、50年収集)" で 1988 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1701 GE40-41 死体を焼く兵隊 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/7 段原大畑町
1702 GE40-42 校庭で太陽に照らされ腹部が膨張した死体、身元不詳の死体の火葬 佐藤 健美(サトウ タケミ) 1945/8/8 草津国民学校校庭
1703 GE40-44 負傷者でいっぱいの寺 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 1945/8/12 可部町の寺
1704 GE40-45 焼け跡の電車や半焼の死体 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 1945/8/8 紙屋町付近
1705 GE40-46 広島の夜景 山本 節子(ヤマモト セツコ) 1945/08/ 市内広域
1706 GE40-47 8月6日朝から翌日にかけての自宅周辺の様子 八幡 スミ子(ヤハタ スミコ) 1945/8/6~8/7 牛田周辺
1707 GE40-48 工場までたどりついて死んだ人、負傷者の収容所になった工場の見とり図 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 1945/8/6 三菱精密機械製作所
1708 GE40-49 やけどを負った負傷者たち、先生を助けて歩く生徒 藤田 眞喜子(フジタ マキコ) 1945/8/6 御幸橋へ通ずる道、南竹屋町より大学グランド東側を通り川沿い道より1筋西よりの南北に通ずる道
1709 GE40-50 石垣だけが残った広島城、馬が一頭無事であった 宮本 勝美(ミヤモト カツミ) 1945/8/8 広島城
1710 GE41-01 市街地上空に大きな綿菓子のような白いかたまりが浮かび上がった 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) 1945/8/6 金輪島から見た市街地上空
1711 GE41-02 白いかたまりの中心付近が朱色に変わり、次第にふくれながら上空に昇った、市内から火災の煙が見え出した 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) 1945/8/6 金輪島から見た市街地上空
1712 GE41-03 電車を待つ駅前の長い行列 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) 1945/8/6 横川駅
1713 GE41-04 満員の電車内に原爆の閃光がさし込む 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) 1945/8/6 横川駅の可部行き電車内
1714 GE41-05 電車から血まみれで逃げ出す人々、壁の下から助けを求める声がするがどうしようもなく逃げる 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) 1945/8/6 横川駅付近
1715 GE41-06 燃える三滝山、娘さんに中の子供を抱いてもらい一人は背負い一人は手を引いて逃げる 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) 1945/8/6 三滝
1716 GE41-07 祇園国民学校で傷の手当を受け吉田行きのバスで帰る 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) 1945/8/6 祇園国民学校
1717 GE41-08 親子四人で可部の家にたどりつく、その他の家族の消息 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) 1945/8/6~1945/9/上旬 可部町桐原の疎開先
1718 GE41-09 自宅から持帰った裁縫コテ、可部行きの切符、母親の遺骨で火傷の手当をする 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) 1945/8/6、8/8 可部町桐原の疎開先
1719 GE41-10 夫と共に市内に母を捜しに行って見た市内の風景 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) 1945/8/8 寺町、十日市
1720 GE41-11 天満橋たもとの死体、焼け野原の街を家族を訪ねて歩く 矢野 シゲ子(ヤノ シゲコ) 1945/8/8 天満橋付近

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