トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1407 件検索されました。
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検索結果の表示件数
| No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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NG381-03 | 煙は上へ上へと空高く上っていくほどに火の粉を散りばめたように赤く変化していった。 | 江田 法行(ゴウダ ノリユキ) | 1945/8/6 | 山県郡吉坂村吉木 |
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NG381-02 | せん光が走った山の上から茶褐色の煙が入道雲のようにむくむくと勢いよく上っていた。 | 江田 法行(ゴウダ ノリユキ) | 1945/8/6 | 山県郡吉坂村吉木 |
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NG381-01 | 異様なせん光が音もなく尾をひくように山上から走ってきた。大きな鏡で陽光を反射させたようだった。 | 江田 法行(ゴウダ ノリユキ) | 1945/8/6 | 山県郡吉坂村吉木 |
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NG380 | 山越しに空いっぱい広がっていく奇怪な雲の柱を衝撃を受けてながめていた。 | 佐々木 悟史(ササキ サトシ) | 1945/8/6 | 海軍兵学校 |
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NG378 | 病院にいたが十分な治療も食事もなく捜しに来てくれた兄に大八車に乗せられて実家に帰る。 | 西中 健太郎(ニシナカ ケンタロウ) | 1945/8/10 | |
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NG377-02 | 干潮のため傾いた舟から出てみると皆並んだまま息絶えていた。顔が同じように丸くふくれていた。 | 山本 弘子(ヤマモト ヒロコ) | 1945/8/7 | 住吉橋東詰 |
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NG377-01 | 猛火で避難先に行くことができず、本川につないであった舟の中で一夜を明かした。 | 山本 弘子(ヤマモト ヒロコ) | 1945/8/6 | 住吉橋東詰 |
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NG376 | 外傷が無くても髪の毛が抜け皮膚や歯茎から出血し高熱が続き弱って死んでいく人。 | 宗像 文江(ムナカタ フミエ) | ||
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NG375-02 | 草むらに一糸まとわぬ姿でパンパンにふくれ上がった親子らしい死体が北方向を向いて上向きに転がっていた。 | 沖 信枝(オキ ノブエ) | 1945/8/7 | 三滝山東南の草むら |
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NG375-01 | 祖母は家の下敷きになっていて助けようとしたが返事もない。火が迫りなす術もなく手を合わせて逃げた。 | 沖 信枝(オキ ノブエ) | 1945/8/6 | 観音本町の自宅 |
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NG374-04 | 汽車は何も無かったかのように走っていた。20~30分くらい後きのこ雲のようになった。 | 小笹 敏夫(オザサ トシオ) | 1945/8/6 | 矢賀駅近く |
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NG374-03 | 3分くらいして赤い火の玉を巻くように外側がもくもくと灰色から暗い色になっていった。 | 小笹 敏夫(オザサ トシオ) | 1945/8/6 | 矢賀駅近く |
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NG374-02 | 広島の街は霞がかかったようにおおわれていた。空には真っ赤な大きな火の玉があった。 | 小笹 敏夫(オザサ トシオ) | 1945/8/6 | 矢賀駅近く |
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NG374-01 | 松江に帰るため朝早く広を出て、広島駅で芸備線に乗り換えるためプラットホームで待つ。 | 小笹 敏夫(オザサ トシオ) | 1945/8/6 | 広島駅 |
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NG373-02 | 民家の瓦礫の中に子どもの人骨を見つける。かわいそうで骨より可愛い子どもの顔に見えた。 | 池庄司(久保) トミ子(イケショウジ(クボ) トミコ) | 1945/8/7、72日後(10/17) | 広島赤十字病院近く |
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NG373-01 | 民家の瓦礫の中に子どもの人骨を見つける。かわいそうで骨より可愛い子どもの顔に見えた。 | 池庄司(久保) トミ子(イケショウジ(クボ) トミコ) | 1945/8/7 | 広島赤十字病院近くの民家の焼け跡 |
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NG372 | 横川駅付近の車窓から見た火葬。坂村の自宅で見たきのこ雲。友人の娘さんを捜しに行く途中見た川の様子。 | 梶谷 年子(カジタニ トシコ) | 1945/8/6、8/7 | 横川駅付近、安芸郡坂村の自宅、宇品町 |
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NG371-05 | やけどの傷からうみが出てきた。薬がなくキュウリをすりおろしたものを患部につけてもらった。 | 原 達郎(ハラ タツオ) | 安芸郡坂村の疎開先の家 | |
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NG371-04 | 広島市は三日三晩夜空をこがして燃え続けた。 | 原 達郎(ハラ タツオ) | 安芸郡坂村の疎開先の家 | |
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NG371-03 | 建物は倒壊し、多数の死者が横たわり、生存者は大やけど負い半狂乱で逃げ惑っていた。 | 原 達郎(ハラ タツオ) | 1945/8/6 | 鶴見橋のたもと近く |