menu

トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1407 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

前へ

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
381 NG116 天満川に出ている下水管の上に天を仰ぐように大の字で両手両足を上に上げていた全裸の死体。 近藤 幸子(コンドウ サチコ) 1945/8/9 天満川
382 NG117-01 大きくふくれあがった馬の逆立ちした死体。子どもをトタン板でおおい運ぼうとして倒れている母親。 加茂 一三(カモ カズミ) 1945/8/8 八丁堀の電車道
383 NG117-02 大八車で死体を猿猴川の土手に運び8カ所の穴に死体を入れてガソリンをかけて火葬する。 加茂 一三(カモ カズミ) 1945/8/9 仁保国民学校近くの猿猴川の土手
384 NG118 きのこ雲と被爆して8月8日に亡くなった妹 奥井 裕子(オクイ ヒロコ)
385 NG119 東練兵場から市街を望む。丘には200人から300人のやけどした人が避難していたが水も薬もなかった。 安藤 雅由(アンドウ マサヨシ) 1945/8/6 東練兵場
386 NG120 身体中にガラスがささり、頭が20cmくらい割れ右腕関節に木がささったままの夫。 森岡 まさ子(モリオカ マサコ) 甲奴郡甲奴村梶田の自宅
387 NG121-01 広島駅から広島湾までが見渡せて驚く。周囲は一面の焼け跡で真っ黒焦げの柱と庭木が林のように立っていた。 田坂 敏彦(タサカ トシヒコ) 1945/8/12 広島駅
388 NG121-02 自宅庭の防空ごうの中に、白骨化した頭蓋骨と半ば焼け焦げた首から下の死体が横たわっていた。 田坂 敏彦(タサカ トシヒコ) 1945/8/12 八丁堀の自宅
389 NG121-03 広島駅地下道で放射線の影響か無傷なのにぐったりしている兵隊とそれを看病する看護婦。 田坂 敏彦(タサカ トシヒコ) 1945/8/12 広島駅地下道
390 NG122-01 川に腹がふくらんだ死体が浮いて流れている。警察官と囚人が引き寄せ川岸に縄でつないでいた。 向井 健二郎(ムカイ ケンジロウ) 1945/8/7 横川駅近くの本川
391 NG122-02 つながれたまま木に寄りかかって死んでいる馬。 向井 健二郎(ムカイ ケンジロウ) 1945/8/7 榎町近く
392 NG123 教室には多くの人が横たわり、黒くよごれやけどを負って異臭がした。校庭では火葬が行なわれていた。 大上 清行(オオウエ キヨユキ) 1945/8/7 廿日市国民学校
393 NG124-01 閃光の後一瞬で地獄と化した街。建物は倒れ火災が発生した。両親は大けがをし弟は行方不明のままである。 竹中 宝(タケナカ タカラ) 1945/8/6 東観音町一丁目の自宅
394 NG124-02 がれきの下敷きになった傷ついた人々。 竹中 宝(タケナカ タカラ)
395 NG124-03 がれきの街の中で同級生と出会う。名前を聞かなければ本人とわからないくらいの重傷を負っていた。 竹中 宝(タケナカ タカラ)
396 NG125-01 うす煙にかすんだような空気が漂う原爆ドームの中にもの悲しく寂びそうな少女の姿が浮かぶのを見た。 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) 原爆ドーム
397 NG125-02 相生橋のたもとで十字架に打ち付けられていた米軍捕虜の死体。ただ両手をあわせて冥福を祈った。 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) 1945/8/7 相生橋
398 NG125-03 相生橋のたもとの米軍捕虜の死体。二人とも青白い悲しそうな顔をしていた。 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) 1945/8/7 相生橋
399 NG125-04 相生橋のたもとで十字架に打ち付けられていた米軍捕虜の死体。ただ両手をあわせて冥福を祈った。 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) 1945/8/7 相生橋
400 NG126-01 B29が見え、思わず頭を下げた瞬間、異様な閃光に包まれた。全身に熱線を浴び、完全に意識を失った。 石谷 龍司(イシガイ リュウジ) 1945/8/6 富士見町の自宅

前へ

次へ

Page Top